千草さんは街から子供がいなくなった日、見事に隠蔽されていた落とし穴の底で笑えない冗談を言ってしまったことについての話をしてください。
兄の千草は、十八歳の春家を出て行ったきり、二度と帰ってこなかった。長く子供部屋に棲みついていたのが嘘のように。子供部屋はおろか、町に帰ってくること自体がなくなった。母親は時々連絡を入れていたらしいが、ほとんど返事もないとのことだった。
千草が町に帰ってこなくなってから、十年が経ち、零もまた十八歳になった。零の大学入学が決まったその年、零の住む町は「なくなる」と決まった。
なくなると決まった町の春は、老人ばかりだった。子供達は、零の住む町から別の町へと次々引っ越していき、学校を変わって次の生活の準備をしているのだろう。次の生活が彼らには待っている。老人達は、ぎりぎりまでこの町を惜しむのかもしれない。
美しいとはお世辞にも言えない町だった。山の中にある、開発に失敗した古い団地は、野放図に伸びきった植物ばかり繁茂していた。町の中心にあるデパートはほとんどの店が撤退し、ゲームセンターの音がどこに行っても追いかけてきた。古い学校は夏暑くて冬寒かった。零はこの町で、いつも少し体調が悪かった。
それでも、ここが零の町だった。そして八歳まで千草と過ごした町でもあった。八歳までは、零の人生において誰よりも重要だった、長い髪と細身の体の、いつまでも少年のような千草。十八歳の春にあっさり姿を消して、最初からいなかったかのような、零の兄。
でもそれ以外に――失われつつある兄の記憶以外に、何がこの町にあったかと言われたら……ああ、そうだ。
昨日、落とし穴を見つけた。
「落とし穴を見つけたんだ」
閑散としたデパートの、フードコートの一角で、そんな声が聞こえて、ふと振り返った。零は、2階の本屋の最終値引きセールをのぞきに行こうと出てきたところだった。
クラスメイトの、名前は何だったか、覚えていない。整った顔立ちで髪も明るく染めた、クラスの中でも目立つ誰か。通話を繋いで何か話していたらしいが、相手の反応は芳しくなかったようだ。零と目が合ったと気づくと、破顔して、手を振った。
「空元くん!」
空元零、というのが零の名前で、それを向こうは覚えているのにこっちは苗字も名前もひとつも思い出せないということを、向こうはそもそも分かっているという風に、席を立って近寄ってきてあっさり言った。
「同じクラスの。アサヒだけど」
「アサヒくん」
「朝日通。あのさ空元くん、落とし穴興味ない?」
ずいぶん爽やかな名前だと思ったが、多分思われ慣れているだろう。朝日はもう一度笑い、「山の中に落とし穴を見つけてさ、随分深いんだけど、俺下りるから、見ててくれないかな」
「なんで下りるんだ?」
「下に何か落ちててさ。もう一生確認できないからさ、今を逃すと」
「……構わないが」
「何か奢るよ」
鯛焼き、やきそば、かき氷。たいしたものは並んでいないフードコートで、零はふと、最後にこの町で誰かと遊びたくて自分で穴を掘ったのだという、急な空想に囚われて、戸惑った。
