零さんは蝋梅の咲いた朝、にれの木のある通りでどうしても口笛がふけなかった話をしてください。
デパートの裏を抜けて、楡の木が生える大通りを逸れる。この町の楡の木はどれも葉を伸ばしたまま広がっていて窮屈そうにしている。顔だけ覚えていたクラスメイト、の、朝日(名乗ってくれたので、こんなに最後になって名前を把握した)、は薄茶色の髪を光に透かせて、零の隣を歩いていた。聞きとりやすい、明るい声で、楽しそうに話していて、零にとって陰鬱なだけだったこの町に新しい意味が生まれたように思えた。今更生まれても、仕方ないのだが。
「思い出が作りたいんだよ」まるで当たり前のことのように、朝日は、堂々と言った。
「思い出」
「そう。もうみんな、この町に来なくなっちゃったけどさ。もうなくなるのに、最後まで見届けないなんてもったいない。あとはもう、俺たちの内側にしか残らないのに」
「そうだな」
急に納得をして、零は、小さく頷いた。朝日は少し零を見て、しかし口調を変えないまま、「そうだよね」と、ただ明るく言った。朝日がどういう意図でそれを言ったのか、零の返答から何を汲み取ったのか、零には分からなかったが、零にとって「自分の内側だけにある思い出」は、ストライクなワードだった。
何もかもすべてを打ち明けてもいいような気がした。どうせ朝日通と会うことはなくなるのだから。この町に戻ってくることもなくなるのだから。みんなバラバラの町で、新しい生活を始めるのだから。同時に、朝日はもう全部知っているようにも見えて、だから言葉にする必要もあえて必要ないのかもしれないとも、零には、思えた。表現するのはいつも、得手ではなかった。口笛だって吹けない。
「朝日くんは」
「うん」
「穴の底に何があると思っている?」
「うーん。穴を掘るときに落としたものだよね、きっと。アクセサリーかな。イヤリングを片一方とか。でも、大切なものなら取りに戻ってくるような気もするから、別に落としても構わないようなものって気もする。まあこれ」朝日は耳を指差した。小さなピアスが嵌まっている。
「これだって別に三百円だし。苦労して穴掘ったあとで、もう一回降りようとは思わないかも」
じゃあ犯人は女、と言いかけたところだったので、男だってイヤリングくらい着けるか、と思い直す。
「スリーコインズのイヤリングに、価値を与えに行くんだな」
零より少し背が低い朝日は零の顔をひょいと見上げた。真意を尋ねるように。というか零が大抵より背が高いのだが。多分、当然、兄の千草より、きっともう。
「犯人にとっては落ちたままでよかったんだろう。朝日くんが今日、価値を与える」
「犯人ね。落とし穴イヤリング遺棄事件」
「これまでに『落とし穴外傷一ヶ月事件』とかになっていなくてよかった」
朝日は口の端を釣り上げて零をじっと見た。
「何」
「空元くんは優しい」
穴の底に落ちていたのは、プラスティックの指輪だった。当たらずとも遠からずだ。
黄色い花が彫られたそれは蝋梅に似ていて、朝日はそれを小指にはめ、きれいだと言った。
