16.友達

#novelmber 31.重ねる

#novelmberは11月にお話を書く企画です。詳細X


「死にたくないんだ」

 そう言ったきり、白城(しらき)は口をつぐんだ。驚いたように口元を覆った白城は、自分が吐き出した言葉を口の中で転がしているようだった。茉優(まゆ)も追求しなかった、ひとまず、今は。

 まだ子供の名残を残しているように思える青年と、短期間で随分親しくなったような気もしたし、こんなに親しくなったのは、彼が「体を捨てたかった」からだった。自分の体が不要で、他の形で生きられるならそうしたい。精神転移部の部活動。

 にもかかわらず、目の前の青年が、白城が、もし「本当は体を捨てたくない」のなら、それはそれで良いことだと、茉優は、思っていた。

 夕暮れ。分厚い曇天の下、薄ぼんやりとした、青い光が満ちた川辺を、並んで歩いている。川沿いを歩いて行くと、目的の和菓子屋がある、と白城はさっき言っていた。もうしばらく歩く。別にその間、ずっと無言でも構わない。

「父親が」

 白城の、小さなままの声を、川のせせらぎから拾い上げて聞き取る。

「ボケちゃって。俺も同じようにボケちゃうなら、あと十年くらいかもと思う、俺が俺のことを俺だって思っていられるのは。それがずっと……」

「脱出したい?」

「本当は」白城は困ったように言った。「だから本当は、脱出したいっていうか、もっと生きたいんだと思う」そこまで話した白城は、「ごめん」と口早に続けた。

「何が?」

「浅野さんと同じじゃなくてごめん」

「いいよ」

 それこそ今茉優が考えていたことだったので、茉優は穏やかに返した。

「あのさ。私も考えてた、白城さんの肉体は、白城さんが白城さんであるために、必要なものなんじゃないかって。ていうのは、私には、……私と神狩(かがり)には、そうじゃないって話なんだけど。私たちずっと、私の肉体を滅ぼす方法を探していたと言ってもいいと思う。私にはこれが」

 茉優は自分の胸元に、ぽんと手を置いた。「この体は、足手まといなので、要らないの。神狩もそう思ってくれていた、ずっと、だから私は神狩に恩がある。そう扱ってくれたから。ずっと」

 でも、と茉優は続けた。

「白城さんにとって、白城さんの肉体が白城さんの敵じゃないとしても、あなたは私の友達だよ」

「……ありがとう」

 白城は口元をゆがめて、多分笑った。白城は自分の腕を持ち上げて眺めた。生まれてはじめて手を発見したばかりの赤ん坊のように眺めたあとで、あ、と言った。

「見て」

「え?」

 持ち上げられた白城の手が、そのまま指差す。目的の和菓子屋。そこから出てくる影がある。おかっぱ、小さな体、中学生のようにすら見える華奢な肉体。似ていないのに情報がつながり、茉優は息を飲んだ。

「ウイ」

 神狩ウイは、浅野茉優の、妻である。――今、どんな手段を使ってか、別の人間の肉体をつかっているらしい。

 駆け出そうとした茉優の腕を白城が、弱い力で掴み、しかししっかりと引き寄せた。

「待って。どこに行くか、あとをつけたほうがいい」

「……そうだね。ごめん」

「大丈夫?」

 茉優は息を吸って吐いた。「大丈夫」

 背の低い女はゆっくりと歩き、いくどか角を曲がったあと、古いアパートに入っていった。一階の角部屋。葉をつけていない枝が鉢に植えられたまま、放置されている。

 門扉も玄関扉も、開け放たれたままだった。

 待ってて、と言い置いて、白城が近づいていった。中を覗き込み、首をかしげながら戻ってくる。

「多分、誰もいない。入っていったよね?」

「逃げられた?」

「入ってみようよ。本当に神狩さんだったら浅野さんが話せばいいし、全然神狩さんじゃなかったとしたら『砂川みちる』の名前を出せばどうにかなるかもしれないし。浅野さん、手紙持ってきてたよね」

 砂川家で回収した古い手紙のことだ。鞄に入っている。茉優は頷いた。

 玄関からは、季節外れの金木犀の香りが漂っている。――めまいがした。神狩が好きだった香りだ。誘われるように、靴を脱ぎ捨てる。中に入っていく。

 奥の部屋まで、扉が開いたままだった。

 踏み込んだ部屋には、瓶が並んでいた。

 壁一面に作り付けられた棚に、大小の瓶がいくつも並べられている。床にはコルク栓が散らばっていて、いましがたすべての瓶を開け放ったのだと言わんばかりだった。瓶の中にはそれぞれ、紙が入っている。意味をなさない図形や線、色が描かれた紙。どれも不自然なほど古びて、色あせており、茉優が手に取った端から崩れてしまった。

 その中にひとつ、文章が書かれたものを見つけ、茉優は白城を呼んだ。

「トイレにトイレットペーパーがなくて、風呂にシャンプーも石鹸もない。使った痕跡がない」

 言いながら部屋に入ってきた白城を手招きする。

「ここに何か書いてある」

「なに? ……『記憶屋さま』」

『記憶屋さま

あの森の奥、潜流の彼方へ行きたいと、話してくださってありがとうございます。ここに、捨て去りたい記憶を書くよりも、私の望みを書いておきたいと思います。私の記憶があなたとともに、潜流の彼方へ旅立てるなら、それはとても美しいと思うのです。私にとってこの記憶は手に余りますが、美しいものでもあったのです。』

「森の奥」

「……手がかりかな」質問ではなく確認、もっと言えばいたわり、だった。白城は茉優を見下ろして、「壁の内側のことだよね」と言った。

「私たち、神狩に、誘い込まれたと思う。ねえ、そうだよね?」

「そう、だと思う。浅野さんを、待ってるってことだと思う」

「馬鹿」

 茉優は押し殺した声で吐き捨てたあと、静かに「白城さん、ちょっと部屋を出ていて」と告げた。

 言われるがまま出ていった白城を確認したあと、茉優はおもむろに、棚に腕をかけ、力を込めて、引き倒した。瓶がぶつかって割れる激しい音がして、溜飲が少し下がった。飛び散ったガラスのかけらであちこち切ったが、構うものか。

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