#novelmber 29.残り香
※#novelmberは11月にお話を書く企画です。詳細X
砂川和(すなかわ なごみ)の祖母は、離レ森の占い師だった。
離レ森には、伝統的に、占い師がいる。彼らは、潜流を読み解く能力を持つ。
離レ森には『潜流』がある。『森』の奥から溢れて町を覆っている気配や空間、エーテル、あるいは魔法、すなわち、目に見えないもの、表す言葉、とされている。住民の意識や記憶、いつかの言葉、も、そのなかに溶け込んでいる。それらもまた、目に見えないものだからだ。
占い師たちは、この潜流を読み解く。その業の結果として、たとえばなくし物、たとえば過去の出来事、を、ひもとくこともできる。離レ森で呼吸をしただけで、人々の中の目に見えないものが溶け出していく。占い師は、目の前の人間から潜流へ溶け出していくものを読み取って、伝える。
しかし離レ森の占い師に会うのは容易ではない。占い師の方から客を選ぶ、とも言われる。どこにいる誰が占い師なのか、誰も知らないし、知っていても語らない。
占い師を志すものは師匠について、一人前になるまで学習する。しかし前述の通り、まず、師事する占い師を見つけ出すのが難しい。師匠を見つけ出すのは最初のハードルであり、第一の難関となる。見つけ出せるということ自体が、潜流に選ばれたのだろう。――と、和の祖母は言っていた。
和は祖母から、占いのすべを、少しだけ学んだ。祖母はおそらく、和を弟子に取るつもりだった。祖母は、和に様々なことを伝えたが、それはずっと幼い頃のことだったし、部活動を始めてからは祖母に会いに行くこともほとんどなくなった。
今更、祖母の遺した記憶を、辿っている。
白城桜里(しらき おうり)の吐き出した感情を、捕獲するために。
五年前から、和はこの家に住んでいる。祖母が死んでからずっと住む人のいなかった祖母の家を手入れした。自分の家というより、白城(しらき)が住む家のつもりだった。白城は年に数回帰ってくるだけで、持ち物もほとんど置かず、実際は結局、白城は「泊まりに来ているだけ」だったが。
「大きなおうち」
「祖母の家で」
「長くお住まいなんですね」
桜里が言う言葉に適切な返事をするよう集中しながら、しかし、和の意識は、半分、かつて祖母がひらいた世界にあった。潜流の中に、身を沈める。そして潜流から、顔を上げて、見る。
背筋がざわりと撫でられたような感覚があり、とっさに指を伸ばした。
「和さん?」
いぶかしげに桜里が言う。集中しなければ、と思いながら、和は、あまりに鮮烈な気配に目を奪われていた。
――白城と話しているとき、潜流に指を差しこんだことは、なかった。でも感じ取っていたと思う。ずっと。この色。この気配。
白城がさっきまで、ここにいた。
帰って来るという連絡はする人だと思っていた。しかし気まぐれにしないことだってあるだろう。それ自体は別に構わない。ただ餓えているだけだ。気配に飲み込まれそうなほどに。小さなものひとつひとつに指を突っ込んで、引き寄せて、飲み込みたい。
衝動を抑えて桜里をふり返り、そして和は、静かに、絶望した。
そこにある気配は、白城のものとはまるで違っていた。
桜里は――白城の姉は、白城によく似ていた。背丈も、顔立ちも、揺れる髪も。そして白城と違って、桜里には強い感情があった。だから、桜里から流れ出したものを、奪おうと思っていた。白城に流し込んで、……そして。そして――。
浅ましいと思う。けれど和は、ただそばにいられればそれでいいと、思えなくなってしまっていた。
どんな感情でもいいと――白城自身の感情ですらなくてもいいと、思っていた。
和は桜里を見て、薄く笑った。桜里は白城によく似ていて、それなのに気配はこんなにも違った。潜流の中から見た桜里と、部屋に残った白城の気配は、全く違うものだった。和は息をついて、言った。
「どうも、弟さんが戻っていらっしゃっていたみたいで」
桜里は息を飲み、そして微笑んだ。
「蓮里は、旅行にでも行っていたんでしょうか」
「ああ……そうですね。旅行が好きな方なので。しばらく開けていたんですが」
そうだ、と思い、和は改めて説明をする。幼い日に引き離された桜里は、弟についてたいして知らないのだ。そしてもう、騙す必要も、嘘をつく必要も、取り繕う必要も、なくなっていた。もちろん、桜里のことを「調査」していた事実は、隠している必要があるけれど、これ以降は別に、もういい。
奪う意味はない。白城が白城という純粋であるほかを望む意味はない。代替えにはならない。なにひとつ。砂川和の餓えを満たすのは、ただ白城が白城であるという、ただそれだけの、事実でしかない。
「さっき出ていってしまったみたいで、今日は戻ってくるかどうか。もしかしたら戻ってこられないかもしれませんが、しばらく待ってみましょうか。上がってください」
ええ、と桜里は頷く。和は、暴力衝動など抱いたことのない無害な表情、を、多分浮かべているつもりのまま、指先で白城の気配を愛しく辿り、そこでふと、気づいた。
全く知らない相手の気配が、家に混ざっている。
警鐘が鳴る。
言葉に変換するなら、――魔女。

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