5 胡蝶さんは問題が一つ解決した夜、がたつく椅子に座ったままできみの使い込まれた赤本についてした話をしてください。
「さみしいなにかをかくための題」より
胡蝶の理想の「耳の標本」入手のための一日は、あまりうまく運ばなかった。駅前にはビジネスホテルが一軒しかなく、ソファベッドを入れて貰ってぎりぎり、二人でひと部屋を使うことになった。
「申し訳ないです。別の駅に移動した方が良かったかも」
「いや謝らなくても……胡蝶さんこそ大丈夫?」
「まあ」
「まあか。まあだよね。まあまあまあ、お互い気にせず」
妙に煌々とあかるい、安っぽい照明の下で、相月は当たり前のようにソファに陣取って荷物を広げ始めた。雇用関係をおもえば当たり前のことだったのかもしれないが、胡蝶は感心した。だからモテるのだろう。
「胡蝶さん、髪をゆっくり乾かすのと、一番風呂に入るのと、どっち優先?」
「ああ、お先にどうぞ」
「ではお先に」
自分も質問が多い、と、相月に対していつだったか宣言したと思う。なのだが、相月と話しているといつも先手を取られて、結局聞くことがない。そういうところもいいんだろうな、と、他人事のように胡蝶は思う。他人事のように?
胡蝶はぼんやりと、がたつく椅子にこしかけている。風呂を譲りはしたものの、風呂に入らないでベッドに横たわる気にはなれず、風呂に入っている人の気配を追うのも悪い気もして、本でも読んで気を紛らわせているべきかもしれない、と立ち上がり直す。
ふと、真っ赤なものが目に留まった。
読み込まれた、赤い本。いわゆる赤本である、と、ぱっと視界に入っただけですぐに分かった。目を逸らしたので、どこの大学のどの学部のものなのかまでは確認しなかった。見てはいけない個人情報、と思った。
相月ひよりは大学生だったことがあるのだろうか。
でも、と胡蝶は思った。考えるべきではない、踏み込みすぎだと思うのに、考えてしまっている。胡蝶自身は、大学生だったことも、赤本を買ったこともない。だから想像にすぎないが、大学生だったことがある人にとって、赤本はただの通過点にすぎないのではないか。こんなに大事に持ち歩くことはない、はずでは、ないだろうか。
知りたいのだろうか。
「上がったよー」
「はい!」
返答の声が上ずりすぎてしまった気がしたが、相月は気に掛けていないようだった。少なくとも、気にかけてはいないというそぶりをしていた。
下着やタオルを抱えて、すれ違うときに見えたもの。
美しい耳だった。急に気づいた。そういえば、車を運転している間、ずっと傍らに置いていた。パチンと繋がったような感覚があって目眩がした。
わたし、あなたを、手に入れたい。

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