3.夜はこちら側

#novelmber 3.微光

#novelmberは11月にお話を書く企画です。詳細X


 湿った風の向こうで、小さな光がより小さくなって、ふたたび力を取り戻す。和(なごみ)は岸のこちら側でそれを見ている。Tシャツに汗が滲んで、帰ったらシャワーを浴びようと思う。温度が高いこと、汗が滲んで不快であること、白城(しらき)が遠ざかっていくこと、そして小さな光。どこまで覚えていられるだろうか、と思った。

 砂川和(すなかわ なごみ)は白城と連れだって、町の奥、山の奥まで、川を伝っている。照明のひとつもない中、男がふたり、どんどん山に入っていく様子は、異様なのではないかと少し思ったが、スイッチの入った白城を止めることはできなかったし、したくもなかった。和には「白城を止める」という回路が備わっていなかった。

 暗い山の中を流れる暗い川だ。しかし暗い川というのは、その風景の本質ではない。

 他の光が届かない場所で、蛍を見ている。

 まず、小さな光をひとつ見つける。急に次の光が見える。あちこちが、光で溢れていく。この目が彼らを見つけるまで、光っていなかったのか、それとも、急に彼らの存在を見つけたのだろうか。

 歩いているうちに、しかし和は、道なき道で枝を踏み抜いて靴に穴を開けた。足裏から出血している様子はなかったが歩きにくくなった。進んでいく白城に一応声をかけて、その場に腰を下ろした。川のこちら側に座って、水辺に入っていく白城の背中を見ていた。蛍を追う手の、淡い影を追っていた。

 水の中に入っていった白城(しらき)は、靴が濡れたとようやく気づいたようだ。脱いで、乱雑に放る。彼が意図していたかしていないかは定かでないが、その靴は和の近くまで転がった。

 足もとに注意しながら、ゆっくり立ち上がる。足裏に穴が開いているほうの靴を動かさないように、体を斜めにして手を伸ばす。靴を回収して、自分の傍ら、足もとに揃えて置いた。足裏がぼんやり傷んでいるような気がしたが、先に帰ろうとは思えなかった。光に手を伸ばしている白城を見ていた。

 ふいに振り返った白城が、川から上がり、大股で、近づいてきた。戻ってきた。

「珍しいですか」

「何が?」

「蛍」

「はじめて見た」

「それは、よかったですね」

「虫だね」

 白城は小説家である。小説の中に登場するとしたら蛍は、もっとずっと美しい言葉を選ばれるはずなのだが、普段の白城の語彙ならこんなところだ。商売で使うものなのだから惜しむだけ惜しんで構わない、と和は思っている。白城がしたいことをしていい、と思っているのはもちろんだが。

「そうですね。虫です」

「この町にはもっと違うものがいるって聞いたことがある」

「ああ。伝説がある町ですから」

「砂川さんはここの育ち?」

「生まれがここで、育ちは違います。だから、町のことは、あまり知らないですよ」

「知っておいて」

 和の顔の近くに、砂川が手を寄せて、開く。手のなかに蛍が一匹、かぼそいがくっきりとした光を漏らしている。急に喉の奥がつかえて、目を閉じた。開いたときには、蛍はいなくなっていた。

「俺が他の人に訊くのは嫌でしょう。知っておいて、次までに。俺、明日には立つから」

「もう行くんですか。どこへ?」

 白城は、返事は要らないだろうというように、進んで行った。蛍が群れて揺れる、光の中に。

送信中です

×

※コメントは最大140文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!