#novelmber 4.同時
※#novelmberは11月にお話を書く企画です。詳細X
「あ、あと、ちんちんは置いていくから。持っていくと邪魔だからさ」
ハルの言葉を、机、布団、の流れで聞き流したあと、聞き間違いかと思って聞き返さなかった。なので、どうしてちんちんが置いて行かれたのか、中瀬奏(なかせ そう)には知るよしもない。
ハルとは二年、一緒に住んでいた。セックスはさんざんしたし、休日が合えば旅行にも行ったし、なにより生活をともにしていた。別に約束はしていなかったが恋愛をしているのだと思っていた。もっというと、結婚に近い状態にあるのだと思っていた。
今度世界一周に行くんだ、と、ハルは言った。
既知の情報、相談が必要なことであるという判断は必要ない情報、というニュアンスで言われたので、でもさあ、と言いそびれた。でもさあ、から始めるには根本的すぎた。
「この家、更新したところだけど」あえて選ぶならこの一言だった。
「二年分、家賃を払っとくから、あとは任せる」
「そのときは荷物捨てていいの?」
「いいよ。使ってもいいし、他の人を入れてもいい」
「なんで世界一周?」
「二七になったら行こうと思ってたから」初耳だった。初耳の情報ばかりではあったが。「沢木耕太郎の『深夜特急』に、そういうくだりがあって……」
二七になったら行こうと思っていたのなら、二五の時、暮らし始める前、もっと言うと性交渉を持つ前に、言ってくれても良かったのではないか。奏から言いたいことは本当にたくさんあったが、ありすぎて、ありきたりな、金は大丈夫とか、最初はどこに行くのとか、そういう話題ばかりが口をついて出ていた。
同性のカップルだからこういうことになった、というふうには考えたくなかったが、結婚という具体的なゴールっぽい選択肢があったらこんなことにはならなかったのではないか、と思わないとは言いきれなかった。というか、同性婚が歴史的にほぼ公認されている町がある、と、知り合いから聞いたことがあり興味があったのに、ぼんやりアパートを更新してしまって、引っ越しても良かったんだったなと思っていたところだった。
「多分引っ越すよ。ここにひとりで住んだって仕方ない」
「引っ越すなら、荷物捨ててった方がいい?」
「まあ、別に。大した量じゃないから」
気にしていない、というふりをすることで、傷つかないようにしていたのかもしれないが、そうまとめてしまうときれいすぎる。奏の人生は、ぼんやりしているうちに過ぎていて、そのひとつがこの二年間と、ハルだった。
手元にはちんちんが残った。
結局、ハルが出ていくのと同時に、奏も引っ越すことにした。ハルが出ていくのを、段ボールまみれの部屋で見送って、何もないハルの部屋をふと見ると、ちんちんが落ちていた。
ちんちんは和室の畳の上で、くたりと首を下げていた。本当にちんちんだった。というか、見覚えのあるちんちんなので、本当にハルのちんちんだった。なんであるんだ? いや、置いていくと言っていたが。
急に、もっといろいろ訊けばよかった、と思った。もっといろいろ訊けばよかったすぎる。沢木耕太郎がいつから好きだったのか、ちんちんをどうして取り外していったのか、自分を恋人だと思っていたか、思っていなかったなら何だったのか、戻ってくる気はあるのか。置いていったのは邪魔だから、と、たしか言っていたと思う。でも捨てずに置いていったことに、意味を見いだしていいのか。いいんじゃないのか。いいはずじゃないのか。
ちんちんをそっと撫でると、ちんちんはちゃんと勢いづいた。ハルにくっついていたときと同じように。これってハルに伝わってるんだろうか、と奏は思った。伝わってるなら俺たちって同じ場所にいるようなものかもな。でもちょっと前まで、「本当に」同じ場所にいたのにな。
チャイムが鳴る。奏はあわてて、ちんちんをタオルでくるんで、鞄に入れた。ポーチか何か買ってやった方がいいかもしれない。ちんちんは仕舞われているべきものだし。
引っ越し業者が大きな声で挨拶をする。
ハルと住めたら楽しいのかなと思っていた町に、これから住む。

※コメントは最大140文字、5回まで送信できます