二次創作とモチベーション

こういった文章をもう何年も時々書いており、そしてわたしは過去書いたことをかなりの頻度で忘れるので、似たようなことを別エントリで書いていたらすみません。そもそもユリイカに寄稿した文章が似たような趣旨だったとも思いますが、二次創作とモチベーションの話です。

同人小説(主に二次創作の小説)の添削をしています。書き始めたばかりで右も左もわからないのでちょっと教えてほしいという方からのご依頼が多めです。それで小説の書き方とか、何を目指していくかみたいなことを一緒に考えたりしているのですが、よくお伝えすることがあります。

「特に二次創作では、読者の多寡で作品の良し悪しを判断することはできないので、たくさんの人に評価されたいという希望は抱かない方が良い」ということです。

なぜかというと、二次創作ではその「場」にいる人数は原作作品に依存するので、読者がつくというのはその「場」の中に趣味の合う人がいるかどうかの問題でしかないからです。

読者の多寡で作品の良し悪しを判断したい、つまり多くの読者を獲得するという「勝負」がしたい場合、今どの「場」に読者がたくさんいるのか、その「場」では何がウケるのかを判断して分析して実行していくということになるでしょう。そうやってうまくやれる人もたくさんいると思いますし、最終的に商業を目指す人はそういう器用さを身につけた方が良いと思います。

しかし二次創作の小説、とくに「カップリング」や「推し」について書きながら「できるだけ多くの人に読まれたいな」と思っている感情を細かく言うと、「わたしの好きなものを好きな人と出会いたい」に他ならないはずです。もっといえば、「『これを好き』な『わたし』のことをわかってほしい」から書いている人も多いでしょう。

「わたしのことをわかってくれる読者」と巡り会うこと自体は、二次創作という枠の中ではそれほど難しいことではありません。同じ作品を好きな仲間で集まるので、ある程度好みが近いからです。しかし、「たくさんの人に、わたしのことをわかってほしい」がやりたいのであれば、「好きなものを通じてわかってほしい」はある程度諦める必要があり、自分の書きたいものだけ書くことはできなくなります。

「わたしのことをわかってほしい」と感じるのはべつに恥ずかしいことではありませんが、難しいことではあります。自分の作品の魅力を訴える技術が乏しい初心者のうちはなおのことです。

でも「わたしの書いたもののことを、わたしは誰よりもわかっている」と認識することは誰にでも出来ます。そして、「わたしの書いた、わたしの愛するもののことを愛する」ことでしか、最初の一歩は踏み出せないとも思うのです。

数は問題ではありません。というか、読者が問題なのではありません。自分で自分の一歩を見返して、「自分は、自分のことを、わかっているのか?」ということを確認して、わかっているなと思えたら一歩前進、というところから始めるしかないのでしょう。多分。