2.リツカ - 2/2

 リツカはもう高校を卒業してしまったし、就職はしなかったから、今では一日中、魔法少女をやっている。すこし前までは、寧子とふたりだったのに、いまではリツカはひとりで駅前をぶらぶらしているのだ。駅前をぶらぶらして、煙草を吸って、リツカちゃんだ、と声をかけられて手を振って、やなことないかい、なんて尋ねて。
 あの日リツカを翠鳳の店先に残して帰っていってしまってから、リツカは寧子に会っていない。もうやめた、と言ったのに、連絡をするのもなんだか、おかしいかなと思って、リツカは寧子に連絡を取ることができなかった。
 そのまま数ヶ月、リツカはひとりで魔法少女をやった。たいていの日は変身する必要はなくて、一日中煙草を吸ってぶらぶらしているだけだった。
 魔法少女になってから、リツカはほとんど家に帰らない。魔法少女はごはんも食べないし、眠る必要もない。それに、眠っている間になにかが起こったら、悲しいと思うからだ。リツカはとてもまじめなたちなのだ。リツカは駅前の植え込みに、うろうろしている兎たちに囲まれて座り込んで、時々座ったままうとうとする。そうするとき、リツカはとても幸せだと思う。自分はとても、満たされていると思う。
 時々家に帰ると、母親は兎を抱えて、なんだか悲しそうな顔をする。いい子だと思ってたのに、なんて言う。なに言ってんの、リツカはいい子ですよ。街を守ってんのよ。誰にでもできることじゃないわよ。
 でも、街はこの二年ですっかり穏やかになってしまって、リツカはたいして、やることもないのだった。
 夕方、アザミがやってきた。久しぶりだった。子供っぽいブレスレット、パーカーにショートパンツ。
「ひとり、どう」
「気が抜けないよー」
「誰か、増やそうか」
「え?」
「ひとりきついなら、誰か、増やそうか?」
「えー」
 リツカは首をかしげ、それから、首をふる。
「やだぁ、そんなの。寧子がいないなら、ひとりのほうがいい。新しい子なんて、やだ」
 そう言うと、アザミは、目を細めた。たぶん、笑ったのだろう。アザミはほとんど笑わない。
 寧子は足が長くて、リツカだってきれいな足をしていて、ふたりは、派手な色のミニスカートのドレスがよく似合っていた。変身するとふたりは髪を高く結い上げて、首すじをさらさら長い髪が撫でるのが、気持ちがよかった。ふたりは手を取り合って踊り、街中に、電車に、道行くひとに、魔法をかけた。ふたりはいつも、一緒だった。
 夕方がやってきて、夜がやってきた。街ではなにも起こらなかった。リツカは一時間おきに変身して、ダンスを踊り、街中でなにも起こっていないことを確認した。虹色の光はただリツカの周りを飛び交うだけで、街のどこも、照らさなかった。くりかえし、くりかえし、何度もリツカはダンスを踊る。毎日二十四回、駅前でかかさず踊る。街のために。ひとりきりで。兎たちがじっと、それを見ている。
 そうして夜更け、虹色の光がさあっと、街をとびこえてどこかを指す。
「そら行け」
 アザミがつぶやいた。リツカはなんだかおかしくてふふふっと笑うと、空を飛んだ。駅を離れていく。街のはずれだ。こんな時間にそんなところに、人がいるなんて。
 リツカは、その人通りのない道に、ぎらりと光る、金属の輝きを見た。そしてリツカは息を飲んだ。
 そこにいたのは、寧子だった。
 スーツを着た寧子が、転んで、倒れている。手に、革靴を持っている。脱いで走ったのだ。そうして金属の輝きを前に、立ち上がれずにいる。なにしてんの。魔法。そうリツカは思い、けれど声にするより早く、ステッキをナイフに向かって投げた。ステッキは熱気を含む灰を吐き、ナイフを持った影は風に押し流されるように身を引いた。
「寧子!」
 リツカは寧子の肩を抱き寄せる。寧子は小さく笑ったようだった。
「……もう、街に入ってた? なんだ、あんたの世話にはなりたくなかったのに」
「なんで戦わないの!」
「なに、言ってんの」
「なに」
「あたしはもう、魔法は使えないの」
 意志の、問題だよ。
 アザミの声が聞こえたような気がした。寧子の諦めたような、笑みを含んだ声。
「魔法少女じゃなくなるっていうのは、そういうこと、だよ、だからあたしは、死んだって、平気、なんだ」
「ばか!」
 ナイフがぎらりと光る。なにかを言っている。耳を貸してはだめだ、とリツカは思うのに、その声を聞いてしまう。間違ってるんだ、とその声は言っていた。兎なんか間違ってる魔法なんか間違ってる助からない助からない助からない助からないのが正しい、正しい、ことを、俺は、やっている、みんな、だめに、なっちまったんだ、……ナイフが、ゆらりと動く。こんなのは敵じゃない。そう、リツカは思う。ただナイフを持っているだけ。動きを、止めればいい。そうして、ナイフを取り上げればいい。それだけで、いい。そう思っているのに、リツカは寧子の肩を抱いたまま、ナイフから目を離すことができない。
「……怖くなんて、ない」
 リツカは声を搾り出す。寧子から手を離す。立ち上がる。そうして道の向こうにいる、ナイフの持ち主を、見返す。
「正しいのは、あたしのほうだ」
 意志の、問題だ。
 リツカは自分の指が震えているのを感じる。ひとりで、いつまで戦うのだろう。寧子は人間になってしまって、いつか死ぬのだ。それを寧子は選んだ。それなのにリツカは、どうして、ひとりで、いるのだろう。正しい正しい正しい正しい、助からないのが、正しい。正しいって、なんだっけ。
 なにを、守りたいんだっけ。
 意志の、力。
 リツカは目を閉じた。息を吸い込んだ。

 あの日、紫色の味玉を食べたとき、リツカと寧子は、カウンターに倒れて、意識を失っていた。
 目を覚ましたふたりの目の前に、紫色の兎がいた。一匹ずつ、ふたりの目の前にあらわれた兎は、寧子とリツカの、首に指を回した。
『みんな、しあわせにならなくちゃ』
 そうしてつるりとふたりの手の中で、兎は一本の煙草になった。
 あのとき。そうリツカは思う。
 あのときのあの卵は、たぶんあれは、毒だったんだ。
 魔法少女になるってことは。

 そうして目を開いたとき、リツカは、一匹の、紫色の兎になっている。
 リツカは、きゃはははは、と笑う。そうして、リツカは伸びをする。リツカは、口をおおきく開き、目のまえでぎらぎらと光るナイフと、その持ち主と、その持ち主がつぶやき続ける言葉を、全部、飲み込んでしまう。
 道は静かになる。
 穏やかな道の上に、リツカと寧子だけが、いる。
「リツ」
 寧子が、震える声で、リツカを呼んだ。リツカは、寧子の、その声が好きだった。短く呼ぶ、寧子の声が、好きだった。
『あたしねぇ、あたし、わかったの、あたし、これからは寧子を守ってあげる、寧子を殺そうとするもの、寧子のまわりにあるどんなものも、あたしがぜんぶ、飲みこんであげる、ねいこがあんぜんな、フツーの、ニンゲンになれるように、あたし、ネイコを、まもってあげる、の、よ、ねえっ、ネイコ、いいでしょっ? シアワセ、でしょっ? だいすきだもの、カミサマ、ネイコのこと、だいすき、だものっ』
 寧子は腕を伸ばす。紫色の兎を、寧子は腕に抱える。ぎゅっと、抱き寄せる。
「幸せなんてどうだっていいと思ってさ」
 寧子は呟く。
「でもあんただけは、ずっと幸せだと、思ってたのに」
『カミサマ、しあわせ、だよっ』
「そうだね」
寧子は呟く。
そうだね。

「キタコちゃん」
 駅前に、流れる虹色の光が、薄れて消えてゆく。その残滓のなかに、腕に兎を抱えた少女が現れる。ふわふわと髪を揺らして、白い、光のようなドレスを着た少女は、微笑んでアザミの前にやってくる。
「幸せな子が、また増えたのね」
「……いじわるな言い方をするのね、キタコちゃん」
「まあ、どうして?」
 アザミはキタコと手を取り合う。そうするとアザミは、ピンク色のドレスに身を包んでいる。アザミとキタコは空へと浮かび上がる。紫色の兎が、笑い声をあげる。
「そんなつもりじゃないわ」
 アザミは小さな声で言う。キタコは笑って言い返す。
「そう、いい子ね」
月がしらじらと光っている。冷たい光だ。
「アザミちゃんは、いつも、いい子だわ」


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