1.キタコ - 2/3

 そうやって、アザミはキタコちゃんの手によって、救われたのだった。それは新しい人生の始まりだった。
 キタコちゃんとカミサマの、奇想天外な話はこうだ。
 ある日キタコちゃんのもとにカミサマがやってきた。そうしてキタコちゃんの願いを叶えると言った。キタコちゃんは願った。悪い人間がいなくなることを。そして良い人間が救われることを。みんなが幸福になることを。世界が幸福になることを。カミサマは言った。
『それってステキ、カミサマはね、しあわせが、だーいすき』
 カミサマ、あるいは、カミサマとキタコちゃんが呼んだなにか。
 キタコちゃんはおっとりと笑い、アザミの手をとって、手首をそうっと撫でた。そこに、ぬるりと紫色のものがまとわりついていた。それは、兎だった。兎は体をぐんと伸ばし、アザミの手首に巻きついた。それはきらきらと発光し、ピンク色の花がついたブレスレットに変わった。
「まあかわいい」
 キタコちゃんは声をたてて笑い、ブレスレットを撫でて、「これは、選ばれたしるし」と言った。
「選ばれた?」
「そう。わたしにもついてるわ」キタコちゃんの手首には、白い真珠がいくつか連なったブレスレットが、ついていた。アザミは少しだけがっかりする。そっちのほうがすてきだ。キタコちゃんと同じのがよかったな。
「これはね、わたしたちが願っている通りの形に変わるのよ。そうしてね、このブレスレットの力で、わたしたちはこれから、どんな願いでも叶えられるの。アザミちゃんは、なりたい自分になれるのよ。呪文を唱えたら、いつだって、なんだって、叶えられるの」
「呪文」
「ただ、なりたい自分になる、って、それだけでいいの」
「なりたい自分になる」
 アザミは小さくつぶやいた。
 アザミの下半身を包んでいたカミサマが、ふあ、とあくびをして、しゅるんと縮んで、アザミの手にするりとつかまった。『そうよ』カミサマは言った。
『なりたい自分に、ならなくちゃ』
「なりたい自分に、なる」
 アザミはもう一度繰り返した。けれどアザミの目の前にはキタコちゃんがいた。そうしてアザミは、キタコちゃんから目をそらすことができなかった。キタコちゃんの手首の真珠のブレスレット、あたしもそれがほしい、あたしもほしい、あたしも。
 なりたい自分。
 アザミは唇をかみしめた。なにも起こらなかった。違う、起こさなかった、のだ。キタコちゃんは首をかしげる。
「へんねえ」
 キタコちゃんがくるりと回って、「すてきなわたしになあれ」と軽やかに言うと、虹色の光をまとったキタコちゃんはひらりとレースを翻している。ふわふわと広がる髪。もういちどくるりと回ると、髪はまとめあげられ、手にはほっそりと白いステッキが握られる。そのステッキをアザミに向け、キタコちゃんは言う。
「すてきなアザミちゃんになあれ」
 アザミを虹色の光が包み、アザミはピンク色のワンピースを身にまとっている。スカートがふわりと広がる。
 ぱん、と突然視界が開ける。周囲を覆っていた紫色が突然消え、そこにあるのは一面の夜景だ。ふたりは空の上にいる。そうして周囲を取り囲んだ小さなカミサマたちは懸命に耳をぴるぴると羽ばたかせて浮かび、一斉に、きゃははははははっ、と笑った。
「行きましょう!」
 キタコちゃんはアザミの手をとり、空を飛んだ。
 なんてきれいなんだろう、とアザミは思う。
 ひゅんひゅんと流れていく視界。ダイレクトに吹きすぎていく風は、けれどキタコちゃんとアザミをまるで愛しているように、なめらかに撫でていくばかりだ。遠くみおろす夜景はきらきらと美しく、アザミは、たぶん、生まれて初めてだ、と思った。幸福だ、と思った。満ち足りて、幸福だ、と。
 なりたい、自分。
 けれどその言葉がアザミのなかで、ちいさなとげとなってちくりと刺す。ピンク色のスカートはかわいい。かわいいと思う、こんなのが着たかったと思う、でも。
 手の先にいる、キタコを包む、儚い光のような白い服。
 ……なりたい自分。
 ひときわ輝く街の上空で、キタコちゃんはもう一度腕を振った。二人はミニスカートのメイド服に身を包んで、人気のない裏通りにそっと降り立った。キタコちゃんはアザミの手を引いて表通りに出た。
「ここで神様をみんなに配るのよ」
「配るの? これを?」
「まあアザミちゃん、これ、なんて言わないの。そうよ、だって神様はとってもすてきだから、みんな、神様を手に入れなくっちゃね」
「……配るの?」
 手のひらサイズに縮んだカミサマを、ぎゅ、とキタコちゃんはアザミの手におしつけた。「がんばりましょうね、わたしたち、正しいことをしているのよ」笑顔。
 はあ、とアザミは息をつく。キタコちゃんはかわいくてきれいで、胸を強調するメイド服も、エッチに着こなしているのだった。
 そうしてそれは、アザミの日常になった。
 アザミは家にはもう帰らなかった。キタコちゃんと一緒に、ぶよぶよしたカミサマの中に飲み込まれて暮らした。両親や、あるいは弟がアザミを探しているかもしれないけれど、どうせ彼らは自分のことを疎んでいたのだと思うと、なんだかすがすがしい気持ちだった。あの人たちがあたしを捨ててくれないから、あたしは自分で、あの人たちを捨てたんだ、あたしは自分でそれを選んだんだ、そう思うととても、気分が良かった。
 あたしは家族を捨てて、キタコちゃんに選ばれた。
 それは、すてきなことだった。
 ちっともおなかがすかないので不思議だと言うと、キタコちゃんは、「だってわたしたち、生まれ変わったんだもの」と言った。なるほど、とアザミは思う。生まれ変わったのだから、もう、いやなことはしなくていいし、つまらないことも、むだなことも、しなくていいのだった。
 キタコちゃんとアザミは毎日いろいろな街に行き、カミサマを配った。「とても役に立ちますよ」と言った。キタコちゃんは「とってもおいしいですよ」と言うこともあった。
「食べられるの?」
 そう尋ねると、キタコちゃんは笑って、「神様にできないことがあるわけないじゃないの」と言った。
 ある日、夜の街で、おじいさんが首をかしげて、「そんなにいいもんなんなら、金をとったほうがいいんじゃねえかい」と言った。
「ただで配ってもみんな信用しねえよ。金を取った方がいい。もっともそんなことして捕まっちまっても知らねえけどな、ははは」
 キタコちゃんは、「ほんとうかしら?」と言い、次には迷いなく、「とっても便利な兎ちゃん、ひとつ三百円です!」と言った。
 キタコちゃんはなにも恐れなかった。
 敵が現れたら、カミサマが、ごくんと飲み込んでしまうからだった。
 カミサマは瞬時に大きさを変えることができた。カミサマはなんでもかんたんにひとのみにした。誰に断ってここで商売をやっているのかと言ってきた怖い男の人たちを、簡単に食べてしまって、そうして、満足そうに息をつくと、ごろりと口から卵を吐き出した。紫色の卵はぷるぷるしたゼリーに包まれていて、放っておくとぴょこんと二本の長い耳がつきだし、紫色の兎が、つまり、カミサマが、生まれるのだった。
「神様になったほうが、幸せなのよ」
 キタコちゃんは笑って、そう言った。
「だって神様は、神様なんだもの」
 仕事を終えるとアザミは、じゃあねとキタコちゃんに手を振って、カミサマをひとつ選んでそのなかに飲み込まれる。その瞬間、いつも鳥肌がたつけれど、その感覚をアザミは飲み込む。そうしてアザミは、ぷるぷると揺れる壁と天井に包まれて、ひとりになる。
 アザミは、手首にはまったピンクの花のブレスレットをみおろし、手首を持ち上げて、ブレスレットを揺らす。
 そうするとアザミは、虹色の光に包まれる。
 そうしてそこにいるのは、儚い光のような白いドレスを身につけて、ふわふわと髪を揺らしている、キタコちゃんなのだった。
 アザミは手首をぐるりと回す。そうするとぷるぷると揺れる壁は消え失せ、そこには花園が現れる。そこに咲く花は毎日違う。どれが一番正しい花なのか、どれがキタコちゃんにふさわしい花なのか、アザミはどうしても決められない。けれどひとつだけ決めていることがある。そこにはけっしてあざみの花は咲いていない。
 花園の真ん中に、幾重にも重なったベールのなかに包まれた真っ白いベッドがある。
 そこにアザミは転がり、そして、自分の体を、違う、それはキタコちゃんの体なのだった、キタコちゃんの体を、そっと撫でる。
 魔法の呪文を唱えて、なりたい自分になる。
キタコちゃんは完全で、かわいくてきれいで優しくて、なにも恨んだりしない。自分の名前のもとになった花が美しくないことも、生まれた弟のリュウという名前をうらやんでいることも、弟ばかりかわいがって両親がだんだん冷たくなっていったことも、いつまでもいつまでもベッドにいなくてはならないことも、つまらない生活も、つまらない部屋も、つまらない病身の仲間たちも、キタコちゃんには関係ない。キタコちゃんはただやさしいからそこにやってきて、かわいそうなアザミを愛してくれるのだ。かわいそうなアザミを、キタコちゃんは変えようと、一生懸命にアザミの顔を撫でてお化粧をしてくれる。アザミを、きれいに生まれ変わらせようと。
 アザミはいつだってアザミで、そのことがアザミはずっと、とても、悲しかった。
 アザミはいま花園で、花の甘い香りに包まれて、うっとりと眠りにつく。眠るアザミはキタコちゃんの顔をしていて、キタコちゃんは、美しい。

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