1.耳を買う話

1 胡蝶さんはお祝いの日、耳の標本ばかり売る骨董屋できみにも苦手なことがあるのに安心してしまった話をしてください。

さみしいなにかをかくための題」より

 祖母は美しいものを集めるのが好きだった。例えばピンどめした蝶、例えば昭和のガラス細工、例えば宝石がはまって彫刻が施されたロッド。集めたうちのひとつが、胡蝶の祖父だった。だから胡蝶の外見が整っているのも背が高いのも、祖母の蒐集の結果である、と胡蝶は考えている。もっとも胡蝶自身は、祖父にも、祖母自身にも、さほど似ていない。まっすぐな黒髪は母親似だ。
 累(かさね)胡蝶(こちよう)は、後ろでまとめた長い黒髪を鬱陶しく思いながら、端正な面差しを坂の上に向けて、杖をついていた。蒸し暑い日だが、胡蝶は体質上汗はかいておらず、だから端から見れば涼しげな顔をして登っているように見えるだろう。すらりと高い長身もあいまって、胡蝶は昔から、傷つかない女、感情の無い女、というふうに呼ばれているが、もちろん、それは誤認だ。
 傍らに立っている女性は、祖父に少しだけ、似ていた。溶けたような眼差し、光を透かす髪、浅く日焼けした肌、祖母が絵に描いて探偵にでも依頼したらこんな相手が現れるだろう、という相手を連れて、胡蝶は、蒸し暑い坂を杖をつきながら登っている。
「質問はありますか?」
「ありまくりだよ」
「それは良かった。わたしは質問が多い人のこと、好きです」
「そう。なんで?」
「わたしも質問が多いので。おあいこということになるから」
「そう」女性は――というか名前を知っているのだから名前で呼ぼう、彼女の名前は相月(そうげつ)ひよりという。相月は首をかしげてから、へらりと笑い、言った。
「じゃあ。胡蝶さん、質問はある?」
「ああ。それなら、ありまくりです」胡蝶は相月の言葉を復唱した。
「当てようか」
「どうぞ」
「君は、私が、夢子さんと寝たのか知りたい」
 累(かさね)夢子、というのが祖母の名前である。
「知りたいですね」
「素直で結構」相月は笑った。「でも、秘密。夢子さんの方を調べないと、わかりません。彼女が閨のことを書き留めるタイプだといいね」
「閨」古い表現だ。相月は祖母にとって好ましい相手だっただろう。〝閨〟があろうと、なかろうと。
 祖母はもういない。調べたいなら、書いたものなり残したものを調べるしかないし、調べたければ簡単でもあった。死んだ人間は、日記の読者を咎めることができない。
 胡蝶は、祖母が作った私設の博物館に新しく置く(ことになるかもしれない)骨董品の買い付けに向かっている。車の入らない細い坂道があり、胡蝶は久しぶりに道路を歩いている。手にしている杖もまた、祖母が買って胡蝶に与えたものだ。
 単なる散歩じみた足取りでぷらぷらと着いてくる相月は、祖母の晩年博物館の管理を任されていた、らしい。それ以上の関係だったのではないかと胡蝶の父は疑っているようだが、だからといって日記をあたらめるような胆力のある男でもない、と胡蝶は知っていた。
 相月ひよりは楽しげに、「謎を保持しているのって気分が良いね」と言った。
「そうでしょうね」
「でも謎が破られても気分を害したりしないから、私のことは気にしないで、調べたかったら調べて」
「ええ。涼しい家に帰って、気が向いたら」
 傍らを歩く相手をちらりと見る。相月には、ただ歩いているだけで、不思議な魅力がある。王侯貴族のように育って、芸事をおもしろおかしく修める才能があって、その上でどちらとも関係なくしたいことだけして生きてきたというような闊達さがあって。
 どっちが面白いだろうな、と胡蝶は思う。
 彼女が、〝寝てる〟のと、そうじゃないのと。
 死んだ人の事実関係なんて結局、面白いかどうかでしかない。

「耳だ」
 薄暗い和室ににびっしり並んだものを見て、相月は足を一歩、引いた。大小様々な、動物の耳、の標本が置かれた部屋を、二人は覗き込んでいる。あからさまなおびえを見せる相月に対して、胡蝶は声を立てて笑った。
「いや。普通でしょ、ここで驚くのはさあ」
「何を引き取る予定なのか聞かなかったのが悪いでしょう」
 自分の持っている秘密に淫して、心構えをしなかったのが悪いのだ。しかし完璧なひとだ、と胡蝶は感心した。道化るタイミングまで、無意識と思える行動まで、美しい。祖母の最後の買い物がこのひとなら、納得できる。
「買うの? 耳を」
「安心してください、全部は買いません。手頃なものを、ひとつふたつですね」
「何をもって手頃なんだ」
「相月さん」
「うん」
「帰りは寿司でも食べますか」
「奢ってくれるの?」
「いいですよ」
 胡蝶は、自分は相月ひよりに出会えたことを、喜んでいるらしい、と、他人事のように思った。

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