バクと暮らす

 たとえば。
 誰かと話しているときに、上手く説明できなくなることがある。たとえば、と、言葉を繋ぐ。でもその喩えは、具体性を欠いていて、伝わる言葉の形を取ってくれない。わたしの心の中に住んでいる、一匹のバクの形を、説明してみたって、そこにあるのが寂しさであるということは、伝わらないのだ。
 わたしはバクとともに暮らしている。心の中に住んでいるバクで、寂しい、という気持ちを司っている。バクは丸く、白と黒に塗り分けられた絵のようで、わたしの心の隅で何かを食べている。その姿を思うとわたしは、どうしようもなく寂しくなる。それが本当には存在しないこと、それが誰の目にも見えないこと、それが何を食べているのか、どうしてそこにいるのか、わたしにすらわからないということ、そういったことが、わたしを寂しくさせるのかもしれない。
 手を伸ばす。空想上の手。わたしの頭の中の手。たとえば、バクに手を触れているとき、わたしは安らかで、わたしは寂しくなくて、そして手を触れていないときいつも寂しい。手を触れていない時間の方が長いから、わたしは寂しい。
 どうしていつも寂しがってばかりいるの、と聞かれて、バクが、と言いかけて黙った。わたしの心の中のバク。わたしがいつも、そばにいて欲しいと思っている相手。あなたじゃない。わたしにはバクが必要。バクに触れたい。触れられないから、寂しい。バクはいない。
 たとえば、わたしはバクのそばにいられなくて、だからいつも、寂しい。

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