9.強盗犯

#novelmber 12.片時も

#novelmberは11月にお話を書く企画です。詳細X


 砂川和(すなかわ なごみ)の人生はいつからか、ひとつひとつの行動が全部接続した狂乱になっていて、とりかえしがつかないのだが、つけたくもない。和の人生には片時たりとも欠けることなく白城(しらき)がいる。

 だから和は、白城桜里(しらき おうり)を、砂川の愛する「白城先生」の姉を、ここに、釣り上げた。桜里は無防備に泣いていて、和は無感動に彼女を見ている。夏が始まる前、離レ森の底冷えがする空気の中にも、たしかに熱が混ざり始めた頃。公園のベンチに腰掛けて、女が泣き止むのを待っている。きわめて冷静に、無感動に。

 どうしてだろう?

 かつては和にも、感情や同情、憐憫や小さな喜び、いわば隣人愛と呼べるものがあったはずだった。同僚が困っていれば手を差し伸べ、上司が苦労していれば一緒に頭を捻り、後輩が苦しんでいればそっと支えてやっていた頃が、和にもあったのだ。しかしそれはすべて、八年前に置いてきてしまった。八年前、白城美里(しらき みさと)が、和の前に現れた、そのときに、すべて。

 白城桜里は、白城美里――本名蓮里(れんり)、の、姉である。

 そのことを和はもちろん、ずっと前から知っていた。もちろん。だって和の「先生」の身内なのだから。そして連絡をしないと判断した。和の、個人的な判断で、連絡はつかなかったと嘘をついた。そんなやり方がいつまでも続くはずはなかったので、五年前に仕事を辞めることにしたときは好都合だと思った。「先生」が和に「手を出した」から、辞めるきっかけになったのは、都合がよかった。辞める方がいい理由はそれ以前に、いくらでもあったのだから。

 桜里について、父親や蓮里と引き離されてどう育ったか、どこで働いているか、どう暮らしているか、通勤経路、帰宅時刻。知っていて、ハンカチを拾った。接点を作ったとたん女が泣き出したのは、予想外で、そして都合が良かった。名刺を渡してきさえした。そこに記載された情報を、和はすべて、知っていたのだけど。

 白城桜里は都合の良い相手だった。誘導のすべてに乗って、記憶屋に釣られて離レ森までやってきた。そして「通りかかった」和に声をかけてきた。声をかけてこなかったら、和のほうから声をかけるつもりだったのだが。

 今、桜里は、和の前でまた泣いている。

 感情があるからだ、と和は思った。桜里には感情がある。だから、すべてに心を動かして、何もかもに必死になって、泣いたり笑ったりできる。和にはもうなくなってしまったもの、そして、彼女の弟が持ち合わせていないように見えるもの。もっとたくさん記憶屋に売り払っていてくれればよかったのだが、と和は思った。

 桜里が何を捨てたがって記憶屋に渡したのか、和は知らない。桜里は誰にもそれを打ち明けていなかったから。しかし何かに苦しんでいること、おそらくはその感じやすすぎる情動を持て余していること、は調べがついていた。それなら、ちらつかせれば簡単に、記憶を売りに来るだろうと思った。

 ――離レ森には「記憶屋」がいくにんかいる。非合法の存在であり、時々鼠を狩るようにランダムに摘発されるが、基本的には黙認されている。記憶屋は離レ森の占い師のあぶれ者であり、「潜流」に深入りした、あるいはしようとしている、者たちだ。離レ森の「潜流」に潜り込んでは戻ってくるために、他人から回収した感情を使う。

 和の祖母は離レ森で訓練を受けた占い師だった。彼女から教わった離レ森の情報は、役に立っている。

 記憶屋が買い取った記憶は、 移植可能だと言われている。近しい間柄の相手なら。

 白城桜里は記憶屋に記憶を売った。しかし見たところ、たいした量は渡していない。あるいは桜里の感情は尽きない泉のようなものなのかもしれない。いずれにせよ、もっと差し出せるはずだ。

 和の人生には「白城先生」がいる。白城がそれを望んでいなくても、片時も、離れることなく。彼がそばにいてもいなくても、和にどんな感情も抱いていなくても、――愛していなくても。

「すみません。泣いてしまって……」

「いえ。あの、上がって行かれますか」

「え?」

「桜里さん。おねえさん、とお呼びした方がいいのかな。お疲れでしょう。僕たちの家に、寄って行かれますか?」

 桜里の記憶を、感情を、情動を、もっと、吸い上げる方法がないだろうか。頭の中でプランを練りながら、和はおだやかに笑う。練習しておいたから、無害そうに笑えるはずだ。頭の中の暴力を知られることなく。

 いつからだろう。

 こんなに強欲で、こんなに餓えている。

 あなた以外は、何も要らなくなって。

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