兎ちゃんからのキスでも救われないけれど滅亡しないで世界
- キタコ – 魔法少女。
- アザミ – 病弱な、あるいは、病弱だった少女。
キタコちゃんはアザミにとって、ずっと、魔法使いだった。
病室に、キタコちゃんがやってくる。きれいな花や、リボンや、クッキーの缶なんかを、持っている。でもそれよりもすてきなのは、キタコちゃんが口紅やアイラインを並べることだった。キタコちゃんはにこにこと笑って、アザミの頬をそっと撫でる。キタコちゃんからは、甘い、すてきな香りがする。そうしてキタコちゃんは、アザミの顔に、そうっと、そうっと、パフを滑らせる。
アザミは生まれたとき未熟児で、そうしてそのままずっと弱いいきものだった。アザミはずっと病院のベッドで暮らしていて、学校には全然通えなかった。アザミはいつのまにか、無感覚を身につけた。なにもかも、アザミの外側を撫でて、ゆきすぎていくのだった。それは悪い感じじゃなかった。ふわふわしていて、幸せだと言ってもいいくらいだった。
キタコちゃんはボランティアでやってきた高校生だった。最初は高校生で、しだいに大学生になって、大学を卒業してお仕事をはじめて、そうしてからもずっと、キタコちゃんはアザミのところに来てくれた。
「アザミちゃん、すてきな名前ね」
キタコちゃんはそう言った。
「きっとアザミちゃんのご両親は、アザミちゃんに、とても、とても、強い子になって
ほしかったのね」
アザミはアザミという花を百科事典で見たときから、両親をとてもとても恨んでいたのだけど、そう言われたとたん、すべてを許してもかまわないような気がした。両親を恨むのはほとんど幸せと言ってもいいようなことだったから、許したくなんてなかったはずなのに、キタコちゃんが言うことは、いつだって、とても、きれいで、すてきで、だからアザミは、キタコちゃんの言うことを、なんだって信じたくなってしまうのだった。アザミは、両親に、強い子に、なってほしいと、願われて、アザミになった、それは、なんて、すてきなお話。
でも同じくらい、悲しいお話だ。
だってアザミは強い子なんかじゃなかったから。
「キタコちゃんのお話は、いつも、すてき」
アザミの声はすこしふるえる。アザミはキタコちゃんと話していると、いつもなんだか、泣きたくなるのだった。そうやって話しているあいだにキタコちゃんはどんどんアザミの顔を作り変えていく。アザミはそうやってキタコちゃんの手がアザミに触れている、その時間がアザミはとても好きだった。キタコちゃんがアザミに触れている間だけアザミは、とてもすてきな、きれいな、かわいい、そして強い、女の子になれるような気がした。キタコちゃんの手に包まれている間だけ、アザミは、とてもとても美しくて強い少女なのだった。
そうしてキタコちゃんの手が離れてゆく。キタコちゃんが笑顔で、鏡をアザミの前に差し出す。
そうして、魔法の時間は終わる。
きれいにお化粧を施されて、でもそこにいるのは結局ただのアザミだ。がりがりにやせて落ちくぼんだ疲れた目をした、ただの、病気の女の子だ。アザミはがっかりする。
キタコちゃんを信じたいのに、アザミはぜんぜん、魔法にかかることができない。
キタコちゃんはアザミの帽子をかぶった頭を撫で、「アザミちゃん、とってもきれい」と言う。アザミは上手に微笑もうとする。鏡の向こうの少女は、とても気弱に、唇をゆがめる。
そんなふうだったから、キタコちゃんはアザミに、がっかりしているのだろうと、ずっとそう思っていた。
目を覚ましたとき、アザミは、病室のベッドにはいなかった。アザミはぶよぶよと揺れる、紫色の固まりに包まれていて、びっくりして飛び起きた。飛び起きてから、ずいぶん身軽に体が動くことに気づいた。でもそれを不思議に思う暇はなかった。
アザミが起きあがった、そこに、キタコちゃんがいた。
キタコちゃんはいつも通りにこにこ笑っていた。そして、腕のなかに、ぶるんとふるえる紫色の、兎を抱えていた。兎なのだろう、たぶん、耳が生えているから、そうなのだろうとアザミは思った。でも柔らかな毛は生えていない、ゼリーのようにぶるぶると震えているばかりだ。アザミが腕をついている、さっきまでアザミを包んでいたものと、同じもののように見えた。アザミは、アザミの下半身をまだ包んでいる紫色の物体を振り返った。そこにも、長い耳が、生えていた。
「おはよう、アザミちゃん」
キタコちゃんが、明るい声で言った。
「あなたは生まれ変わったのよ」
『そうなのよ。アザミは生まれ変わったのよっ』
甲高い声で、キタコちゃんの腕のなかの兎が言った。
「……説明をして」
アザミは、まず、そうつぶやいた。体が震えて、こわばり、声もやはり、震えていた。
アザミは紫色の兎から体を引き抜こうとして、気づいた。ベッドの外もすべて、床も壁も、キタコちゃんが座っている椅子も、なにもかも、紫色のぶよぶよなのだった。アザミは息を飲んだ。
『カミサマがねえ、アザミを生まれ変わらせたのよっ』
キタコちゃんの腕のなかの兎がそう言った。キタコちゃんはおっとりと微笑んだまま、白い指で兎を撫でている。
「神様? あんたが?」
『そうよぉ、キタコがねっ、カミサマのこと、カミサマって名前にしたのっ、だから、カミサマは、カミサマなの、それでねっ、カミサマは、なんでもできちゃうんだから、どんなことだって、できちゃうんだからっ』
兎の、甘ったるいしゃべり方も、甲高い声も、気持ちが悪い。アザミはそう思う。鳥肌の立った腕を抱えて、アザミはけれど、キタコちゃんの顔を見た。キタコちゃんは、笑っている。アザミの記憶のなかで、キタコちゃんはいつだって笑っていて、それはかわらなくて、でもそのときのキタコちゃんは、アザミの覚えているどんなキタコちゃんより、幸せそうに見えた。
――幸せが、いいことかどうかなんて、わかんない。
アザミが、病室で、両親を恨んでいるときの気持ちは、たしかに、幸せって言いたいようなふわふわした気持ちだった。キタコちゃんがいま微笑んでいるのは、そういう、幸せ、なのかもしれない、でもアザミは、いつだって、キタコちゃんを、信じたかったのだ。
アザミは両手で両腕を抱え、体の半分を兎に埋めたまま、目のまえの「カミサマ」に向かって、尋ねた。
「ねえ。……もしかして、ここは、あんたの仲間の、中なの?」
『カミサマね、たくさん、たくさん、カミサマを作れるの。カミサマの中にいれば安全だし、楽しいし、病気も、けがも、悪いことは全部直っちゃって、しあわせになれるの、いいことばっかりなのよっ。だからカミサマね、作ったカミサマの中に、キタコとアザミを、飲み込んじゃったの。そうすれば楽しいでしょっ? ねっ、ねっ、アザミ、元気になって、楽しいでしょっ? キタコがそうしたいって言ったから、カミサマ、アザミを元気にしてあげたのよっ、カミサマは、えらいでしょう?』
「ええ神様、あなたはとても立派なことをなさったのですよ、キタコはずっと、アザミちゃんを元気にしてあげたかったの」
アザミはかっと頭が熱くなるのを感じた。その瞬間、なにもかも吹き飛んだ気がした。いま置かれている状況のむちゃくちゃさも、目の前にいる兎の不快なしゃべり方も、アザミのそのときの圧倒的な気持ちの前では、小さな問題だった。アザミはずっとキタコちゃんが好きだった。
アザミはずっと、キタコちゃんにあこがれていた。

※コメントは最大140文字、5回まで送信できます