性格が明るくなったからね

ながらく万年筆ユーザーだったのだが、10年くらい前、突然SARASAにハマって、ボールペンもたくさん使うようになった。その後、ユニボールワンPにハマり、今はジェットストリームにハマっている。ジェットストリームの芯を使い切ったので、おお……ハマっている……と思った。替え芯を買うという行為、いかにもヘビーユーザーでございますと思えるため、格好良くて好きだ。


ごはんを食べる気にあんまりなれず、ベースブレッドを囓って過ごす。こういうときのために買ってある。が、そのあと外食したら、つむじ風のような速さで食べまくってしまった。食べたくなくてもしっかり食べてから出かけた方が良かった。全体的にはすごく食べた日。

どうもキッチンやダイニングに長居をする気になれない。寒いのもあるが、もっと明るくした方がいいのかもしれない。やわらかな光で陰影のある食事を……とか言っている場合ではないのでは。読書室が不必要に明るいから、今度時間を作って、ライトを入れ替えよう。


素敵な生活ですねとか素敵な人生ですねとか言われたとき、いや~でも全然部屋散らかってるんですよ、とか言わないようにしたほうがいいんだよな……と、ちょっと前に反省して、最近は言わないようにしている。向こうは、素敵ですねと思ったから言ってくれたのであって、いや~ダメダメですよという答えを引っ張り出したくて言ったわけじゃない。と思う。

素敵に生きています。でも、もっとたくさんジムに行ったほうが素敵なので、いいかげんルーティーンに組み込むよう考えて欲しい、思い出した日に行ってるだけだから。


通院日。

具合が良いので、先月、睡眠薬を一錠減らした。とたん、性格が明るくなりすべてがどんどん捗ってなんなら頭も良くなった気がするのだが、元気すぎるため、周囲の人からは恐れられている。そんなに元気なのは落ち込みの前兆かもしれないから医者にちゃんと言え、と言われたので伝えたのだが、医者は「でも減らしたの睡眠薬ですからね」と笑っていた。

減薬とは全然関係なく、ただ急に性格が明るくなった人かもしれない。とか、プラシーボとか。減らしたときもプラシーボって言うんだろうか。

医者が言うには、「喧嘩と買い物に気をつけて」とのことだ。喧嘩はゼロ。

トータル20万くらい買い物をしたのはそうなのだが、これはもう何ヶ月も前から「誕生日が近づいたら20万くらい買い物を、するぞ!!!」と思って貯めてあった分なので、計画的消費なのだ。もう死んでるマットレスを買い換えるとか、この家にないのはありえなくて早く買った方が良かった掃除機を買うとか、そういうのだし。浪費というより、判断をぐだぐだ保留にしていたものの判断がついたと言った方がいい。性格が明るくなったから……。

おたのしみにもお金は使ったけどね。


ずっと真夜中でいいのに。のライブパフォーマンス(YouTubeにたくさん上がっているもの)をまた観る。ものすごく面白いのでDVDなりなんなりの全編が手元に欲しいと思っているのだが、なかなか買えていない。買った方がいいものは、人生に、あまりにも多い。


日記を書くのって、頭の中から記憶や情報を引っ張り出してきているわけじゃなく、うろうろ生きている内に自分にぺたぺた貼り付けられた付箋を引っぺがしていく作業、と、思う。自分で貼り付けたのかもしれないが、とにかく、大事な事も大事でない事も、ベタベタに張り付いてきて頭の中がうるさいので、剥がすためにメモを取っている。

そのなかの、きれいそうなものを、ここに書いて、人に見せている。

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一人暮らし10年

はじめに

広島県の、「まあ県庁から徒歩圏内と言ってもいい」くらいの場所に住んでいる。「徒歩圏内」の感覚はひとによるだろうが、この表現によって「ならあのへんか……」の特定を防いでおく。わたしはけっこう歩く方だ。

実家も広島だが、もっとずっと山の奥にある。2015年9月に実家を出て、一人暮らしを始めた。だから、10年の歳月が経ったことになる。

この日記では生活の話をたくさんしているので、一人暮らしと家について書いておこうかと思う。登場人物だから。

家を出るまで

色々あって就職をしなかった。更に色々あって、メンタルを壊した。という経緯で、家を出そびれたまま、仕事を転々としつつ小説を書いてダラダラ8年くらい経過していたが、家は相当居づらくなっており、家を出る直前の年はろくに家に帰らずファミレスとネカフェを転々としたりしていた。

ネカフェを転々とするくらいなら引っ越すか……と思った。

最初の家

最初の家に引っ越した時はとても嬉しかった。わたしはこの家に異常な愛着を寄せていて、9年も住んだ。四畳半+2畳のキッチンしかない、すごく狭い部屋で、9年も住むような空間では絶対になかったのだが。ロフトベッドとデスクと冷蔵庫と洗濯機を置いたらもうぎりぎりだった。

最初は「外で働いて外で原稿やるんだから、家なんて寝るだけだから」と思っていた。なにしろ直前までネカフェで暮らしていたので、十分だろうと思った。

しかしわたしは何故かこのあと在宅ワーカーになり、次いでTRPGプレイヤーになった。この四畳半が衣食住遊働のすべてになってしまった。こんな空間で衣食住遊働のすべてをやるというのは、ほとんどかたつむりと一緒である。体を家の形に添わせながら、肌のすぐ先に家の壁があるような状態で生きていた。

四畳半は自分の皮膚であり身体であり殻だった。

愛していたが、愛だけではどうしようもないものもあり、引っ越した。

今の家

四畳半を愛しすぎているので誰に何を言われても引っ越す気がなかったのだが、とにかく本当に散らかっていて、というか許容量を超えていた。いつも掃除をしていた。1年間くらい毎日掃除をし続けても端から端から散らかるので、無理だなと思って、引っ越すことにした。

四畳半を愛していたため、「でも四畳半が良かったな」とは絶対に思わない物件を探し出さなくてはならなかった。というわけで、とにかく広い物件に移ることにしようと決意を固め、不動産屋に行った。「3部屋くらいあると嬉しいんですが」と伝え、そのまま内見に行き、1軒目が気に入って、その日のうちに決まった。不動産屋にしては珍しく、無駄口がなく仕事の早い人だった。

という経緯で3DKにひとりで住んでいる。

まあ、オーバースペックではあるのだが、家で働いているんだからストレスなく過ごせた方がいいに決まっている。仕事部屋と寝室が完全に分かれていて快適。あと1室は「読書室」で、本棚と手芸の道具が置かれている。映画を観ながら編み物をしたりする。

読書室のおかげで、家にゆとりがある。正確には、ゆとりの享受が義務化されている。全然入らないのもよくないから……みたいな理由で読書室に入って休憩をとるので。

最初の家に住んでいたときは、デスクに監禁されていて、逃げる場所はベッドの上しかなかった。読書室の存在は、自分の人生に必要な余剰であるなと思う。

幸せに暮らしている

この家に何年住むかはよく分からないが、四畳半と違って「ここから動きたくない」わけではなく「何の不満もなくて動く必要が全然ない」ので、何らかのトラブルに見舞われるまでは住みたい。県外に出る選択肢がないわけではないが、しかしこの暮らしは快適だしな、と思う。

光の美しい家で幸せに暮らしている。ずっとここにいられるならそれが一番良い。

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手に入ったもの

一次創作の小説を書いていると良いことがいろいろあるので、このままのんびり書けたらいいよな~と思う。

わたしの今の主だった創作物はクトゥルフ神話TRPGのシナリオで、まあまあ評価されている方だと思うし頑張ってもいるし世論の流れにチューニングを合わせるのもそんなに無理ではないという状態で楽しく続けている。

そして小説では「そう」うまくはいかない気がする。良くも悪くも、クトゥルフ神話TRPGに関してはたいしてプライドがないので上手くいき、小説は上手くやるにはプライドが邪魔、という気がする。そして、それくらいの方が心を守れるというか、誰のためでもなく自分のために小説を書いて楽しく過ごせる、とも思う。良くも悪くも、TRPGシナリオって別に「自分のために書いてる」わけではない。

しかし、クオリティとか頑張れるかとかはともかく、小説を書くと、とにかくジャンルレスにいろんな人が読んでくれる。というか、読んでくれなくてもよくて、「小説とか書いてるんだ~」と思ってもらえる。

TRPGのシナリオはTRPGをやらない人にはほぼ関係のないものだが、小説は小説を読まない人にも「あ~、小説とか書いてるんだ~」と、思われる存在、という感触がある。かつ、二次創作の小説だと「知らないジャンルだな……」とかのワンクッションが挟まるが、一次創作の小説は本当に「へえ~、小説書いてるんだ~」で、完全に伝わったという、感じが、する。

「関わっている」感じがして、それがいいな……と思っている。ながらく、小説を、孤絶した環境で書きすぎたのかもしれない。

やや語弊があるが、「通りのよい説明可能な職業に就いたので、親が安心した感触がある」に近いものを感じる。それがちょっと面白い。これが、一次創作の小説を書いて良いことのひとつだ。

書きたいものはいろいろあるし、二次創作だってプロットだけ立てて書いていないものがたくさんあるのだが、人生の方向としては、このまま一次創作を書いたらそれで合ってる気がしている。


哉村哉子が今日買ったすばらしいもの、な~んだ。

という、バカの水平思考ゲームを、作業通話で出して、無事当ててもらった。浮かれている。

解答は、また後日。


広島にエジプト展が来ているのをすっかり忘れていて、慌ててスケジュールを立てた。クトゥルフ神話はエジプトや砂漠が舞台ということが割とあるので絶対に見ておかないとまずい。

広島県立美術館は本当に、本当に広いので、行くときは覚悟が要る。が、常設展も見たいな。本当に、本当に広い常設展だが。


部屋掃除をしながらAudibleで『ドリトル先生アフリカゆき』を聴いていた。Audibleでは、既読のものを探してきて聴いている。

「オシツオサレツ(『ドリトル先生』シリーズに出てくる架空生物)は、今では根絶しています」のところで急に泣く。

ドリトル先生シリーズは、基本的にもう過ぎ去った話という設定なので、ここで行われたすべての善意は世界から失われたのだ……と思って急に泣いてしまうことがある。


作業通話が盛り上がり、いろんな話をした。ガンダムは女も、女児も、大好き。子供の頃の習い事。子供って木があると登ってしまって危ない。などなど、基本的には子供の頃の話をしていたように思う。

子供の頃のわたしは「箱集め屋さん」だった。

箱と見るとすべて集め、箱の中に箱をきっちり詰めて、箱の塊を作るのが大好きだった。お菓子の箱やオモチャの箱は思い出が詰まっているから、見ると良い気分になってよかったような覚えもあるが、四角いという共通点があるものを工夫して整頓するよろこびもあったかもしれない。リアルテトリスだ。かさばるしゴミなので親は困っていた。

自分の持ち物、自分の記憶、自分の手の中にあるもの、に対する愛着の強い子供で、そのまま大人になった。子供の頃は消しゴムや鉛筆を擬人化して遊ぶのも好きで、宿題の途中、寸劇をやっていた。手に入れたいものがどうしてもあるというより、手に入ったもので遊んでいるかもな。ずっと。

手に入ったもので遊んでいるし、手に入れたものを自分の生活に馴染ませるのが得意だ。


パシーマ(ガーゼキルトケット)を愛用している。洗って干した日のパシーマは特に心地が良い。

幸せに眠る。

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『アンダーカレント』のこと

はじめに

10月30日に書き始めた群像劇連載小説『アンダーカレント』(以下アンカレ)が2万字を超えた。

超えたというか、ぼんやり書いていて、気がついたら膨れ上がってしまった。終わる気配は全然ない。

別にこんなに頑張る予定ではなかったというか、「町を共通にする」以外特に決めずに書き始めたのだが、気がついたらまあまあきちんとした話として組み上がってきたので、どうしてこれを書き始めたのかという備忘録を書いておこうと思う。

『アンダーカレント』のこと

同性間の事実婚が歴史的に認められている町、「離レ森町(はなれもりまち)」を舞台とした群像劇。まだどう転ぶかわたしにもわからないところも、決まっているけど今後のおたのしみのところもあるのだが、「異性婚と同様に多様な同性婚があるし、そもそも多様な人間がいる」ということをぼんやり念頭に置いて書いている、と思う。

同性婚の話を書こうと決意して書き始めたわけではなく、離レ森町は同性のカップルが多そうだよなと、設定を眺めていて思った結果、気がついたらこういう内容になっていたので、踏み込みや認識が甘いところはあると思うがぼんやり読んでいただけると有り難い。

ダイスを振っている

わたしはTRPGプレイヤーである。2017年に始めた。

TRPGの多くのシステムでは、プレイにダイス(サイコロ)を使用して色々な事をランダムに決める。わたしは元々ランダムな要素で話を作るのが好きだったので、ダイスを振った結果キャラクターのようすが掴めるということにすっかりハマり、早々にプレイ外でも振りはじめた。以後、2017年から8年間、ほぼ毎日、ダイスを振ってキャラクターの設定を決めて遊んでいる。

だから正確にはTRPGプレイヤーというより、「ダイスを振って設定を決めるのが好きな人」だと思う。

さて、こうやって日々ダイスを振っているうち、だんだん「TRPGのキャラクターの設定を決めるために振る」という目的は形骸化していった。そして最終的には、「ダイスを振って一次創作のプロットを無から立てる」ところまで行き着いた。

アンカレのプロットの一部と、離レ森の根幹設定、および、白城と砂川と浅野あたりのある程度は、ダイスを振ってランダムに決定した。ちんちんのエピソードは完全にダイスの産物なので急にめちゃくちゃなのはそういうわけである。

毎晩なんとなくダイスを触っているうちに生み出される小さなプロットを、少しずつ小説に書き起こしては日記帳などに散らかしていたので、どこかにまとめておきたいと思ったのが、ことの始まりである。

町を作る

ばらばらと振って作ったプロットは、同一の作品世界とは思えなかったのだが、書いていってひとつひとつが成り立つほどではないエピソード群でもあったので、共通の設定を用意してそのなかに放り込んでいったらまとまって楽しいかもなと思った。連作を書くのは得意な方だし。

中学生の頃に書いていた小説のことを思い起こしていたので、思い出せる範囲で同じ要素を使うことにした。「石壁のある町」「いつも陰っている」「森の中に秘密がある」といった設定を掘り返して、使うことにした。

「町を作る」も、TRPGで遊んでいる内に身につけた能力である。TRPGでシナリオを書いていると、とにかく町を作りまくる。町を作る人になりたいというのは子供の頃の夢のひとつだったので、できるようになっていて嬉しいと思っていたが、ついに小説の役に立って大変嬉しい。

町の設定をちゃんと決めるか……と思って、データベースを作り始めた……のだが、実は全然データベースを完成させずに、というかほとんど未着手で書き始めてしまった。

HPを更新する

ダイスを振って作ったプロットを、ここ2ヶ月くらい、ぼちぼち小説の断片にしていた。

誰にも見せずに日記やディスコードに書き付けて散らかしている日々が続いたので、そろそろちゃんと小説として仕上げて、公開するか……と思った。公開するつもりにならないと、断片のままで満足してしまう。自分には断片のままでも意味が分かるから。

発表する場所としてHP(ここ)を作り、断片をいくつかサルベージして、共通の設定に整頓して、公開し始めた。分類の都合上『アンダーカレント』というタイトルを先に決めたが、あまり深く考えずに決めてあとから小説の方の辻褄を合わせた。

ほぼ同時に、Xで「#novelmber」という企画を見かけ、楽しそう~やってみようかな~と思って書き始めた。別にアンカレをこのお題に沿って書こうと思っていたわけではないのだが、結果的にアンカレ以外書いていないというか、他のものに触る余裕がないほどにアンカレにハマってしまったので、お題に沿って長編小説を書くぞと意気込んで始めたみたいになっている。特にそういうわけではないのだが。最初の2話は全然お題関係なく書いているし……。

ぼんやり書いている

毎日、いつ書くと特に決めず、1時間から2時間くらいの余裕を見つけたら、ぱたぱたと書いている。わたしは1時間で2000字くらい書くので、1時間あれば大抵じゅうぶんに書ける。ルーティーンタスクというより、ご褒美の時間という感覚である。

ぼんやりしているうちにここまで書いてしまったが、ちゃんと設定を詰めていないところがたくさんある。いいかげん話も転がり始めたので、データベースを作った方が良いと思う。

今のところ、この話にかなりハマっていて楽しく書いているので、最後まで、というか、このへんで終わりかなと思えるあたりまで、書き上げたい。

ながらく、小説というのを「気負って書くもの」にしてしまっていた気がする。肩の力を抜いて、書きたいことを野放図に書き、自分の書いたものを楽しみたいと思っている。

キャラクターについても軽く触れようかと思ったのだがまだ出ていない情報もあるし、もう少し話が進んだら、あるいはなにもかも書き上がった頃に、また。

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「ちゃんと」の魔法

忙しい一日になる予定だったのでコンビニでごはんを買う。

好きな商品は大体ファミリーマートに多いし、雰囲気やラインナップが好きなのはローソンなのだが、セブンイレブンには「ソーセージおにぎり」がある。わたしはソーセージおにぎりが好きすぎて、ついに、セブンイレブンに行ったら最後2個買ってしまうようになってしまった。別にすぐ2個食べるわけじゃないんだけど好きすぎるという感情が溢れすぎているし別に2個くらい買える大人になってしまったので。そういう力を持ってしまったので。スガシカオの「楽園の月」みたいに。全然違うか……。

記憶が確かなら、最初にソーセージおにぎりを食べたのは16歳くらいの頃だと思う。

四半世紀のつきあい。

というわけで、昼ご飯と夕ご飯はソーセージおにぎりだった。ソーセージおにぎりはたくさんマヨネーズが挟まっていて健康にいい食べ物ではないが、それ以外のものでどうにか調整したので、あすけんは79点。


県知事選の投票、自分が回すTRPGのセッション、セールの宣伝×2、手帳のウィークリーセットアップをして、小説を書いた。充実しているが忙しい一日。

朝イチで選挙に行った。「ちゃんと」しようと思い、襟のあるシャツと、くるみボタンのカーディガンを着た。結果的に一日に「ちゃんと」の魔法がかかり、何もかもうまく回った気がする。

3年くらい前に「制服」にハマり、襟のあるシャツをたくさん買いそろえた。最近ずるずる「制服」を着ないでインド綿のワンピースとかだったが、戻してもいいな。インド綿のワンピースが悪いわけでは全然ないが。

まあそもそも、インド綿のワンピースを着る季節じゃないだろう。


作業通話で「小説をPDFとか紙で欲しい、オフライン環境で読みたいので……」と言われ、わかるな~と思う。オフライン環境もそうだし、HTML形式のWEB小説って、どこまで読んだかわからなくなると思う。自分としても。

その流れで、本にするなら文学フリマに……という話題になる。話題を振ってきた友人は、他の友人と連れだって、5月の東京文フリに出たいと思っているそうだ。わたしが前回文学フリマに出たのは2013年である。ちょうどそのとき出した本を読み返していたところだった。

東京って年に1回くらいは行きたいと思う。いろんな人に会えるから。

それはともかく、本にすると思ったとたん夢がわらわらと押し寄せて、ココナラでデザイナーさんやイラストレーターさんを検索して色々眺めたあと、「いや、自分でやるか……」といったん落ち着いた。この流れ、やりたいことが思いついてココナラで検索して落ち着いて自分でやるか~と思う流れ、人生で幾度となく繰り返している。人に依頼をするのって大変だし難しい。が、お願いしてみたくもある。

まあでも、自分で全部やった本を作るのもいいよな。絵が描けるようになったんだし。


ハンモックがあると嬉しいのではないかという思いに取り付かれてしまった。パジャマを買うんじゃなかったのか。値段は1ハンモック=1高級パジャマ。まあパジャマに関しては、非高級パジャマでとりあえず凌いだっていいが……。

マットレスをえいやと買ったせいで、頭の中の購買意欲の底が抜けている気がする。危ない危ない。

いや、わたしは、購買に対する自罰意識が強すぎて、買おうと思ったときに買わないと、本当に何も買わずに生活してしまうので、買いたいと思ったときにエイッと買った方があとあと助かるし、生活は豊かなのだが……。

この「感じ」、この頭の中の感じ、この検索履歴の感じは、買う「感じ」だし。まあ、メリットデメリットちゃんと考えて、お金と折り合って、困らないなら買ってもいいんだ、何だって。

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