僕は八月のはじめに死んだんだ、と彼は言う。川辺の草はよく刈り込まれていて、管理が行き届いた河岸には夜の散歩をする人がときどき行き来する。顔を上げると、視界にはビル群がうつる。みんな昔からずっとここにいるみたいだ。昔ここでたくさんの人が死んだなんて誰も知らないみたいだ。なかったことみたいだ。
なかったことになったほうがいいのかもな。
みんなが豊かに暮らしていて、自分の部屋の中で安全に暮らしていて、それがあたりまえになって、昔、ここでたくさんの人が死んだなんて、知らない方がいいのかもしれないな。そう彼は言う。それが本当に、豊かで幸福なことなのなら、僕が死んだことをみんなが忘れるのが、みんなを幸福にするのならいいのにね。
覚えているよ、とわたしは言う。
わたしももうじき死んでしまう。だれだってもうじき死んでしまうのだ。そして、誰もが、死んだ誰かについて覚えている、生きているなら、覚えていないわけにはいかないから。
見えているほどには幸福ではない都市を見ている。あの夏のはじめに、まだ死なないつもりだった彼が、川辺の草の上に腰を下ろして、対岸のビル群を見ている。あの窓のひとつひとつに住む誰かが、今、少しでも幸福だといい。そしてこのまま死なないはずだと、今、信じていられたらいい。

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