わたし自身は恋愛をしないので、普段は、恋愛の歌を聴いてもフ~ンと思っているのだが、恋愛小説を書くなど、恋愛コンテンツに密接な立場で暮らしている時期は急に「わかるわかるわかる!」が来る。
今、来ているため、恋愛系のプレイリストを聞きまくっている。back numberとかを聴いている。今聴かないとback numberを聴いて分かるときってないから。
恋愛の実体験はないので、恋愛小説はある程度理詰めで書いているのだが、その最中に恋愛の歌を聴いてわかる~と思うということは、恋愛的精神状態は理詰めで「作れる」のだろう。
感情とかエモーショナルな状態って、ある程度学習だよな、とも思う。
それはそうと、「別に特に恋愛とかじゃない歌」って、増えたよな。助かる~。
引き続き、忙しく過ごす。というか、惰性で忙しくしてしまった、というか。
今この瞬間やらなくてはならないわけではないが、やったほうがいいタスクを倒し始め、楽しくなってしまって、食卓でゆっくりごはんとか、キウイヨーグルト作っておやつにするとか、ハーブティー淹れるとか、そういうのをすべて飛ばし、ほとんどの時間をデスクに張り付いて過ごしてしまった。
「もっと働いたらもっと楽しい」の方に意識が固定されてしまっている。よくない傾向だ。
「ヒーローで客体」ということにずっと興味がある。人を救ったり憧れられたりする存在がまなざされて成立する、という感じのこと。
「チュウレンジバチと薔薇」の「彼」くん(名探偵くん)はそれで書いたんだと思うが、「アンダーカレント」の白城もそうだな。
寂しい寂しい寂しい! が来る。
そもそもなんだか眠い日だなと思っており、映画をたくさん観たりして疲れているなとも思っており、政治と国際情勢の不安もあり、複合的にダメ寄りだったので、別にぼんやり過ごしても良かった日でもあったのだが、最近忙しかったせいで「労働癖」がついていて、ばりばりやってしまった。
日中は眠がりつつもそれで楽しく過ごしたのだが、19時くらいにピタッと何もできなくなり、ひっくり返っていた。
まずい気がして、風呂にゆっくり入って21時には布団に入った。しかしうろうろとスマホを眺めるのを辞められなくなり、次第に寂しく、かなしく、つらくなってくる。
結果、ピザを頼んだ。
ピザが食べたかったというより、「ピザを頼むと、ピザ屋さんの意識がいったん、自分の方に向く」という事実を利用して、寂しさを倒した。SNSの通知を眺めたり届いたメールを読んだりしても寂しいというのは、自分の方を向いてくれる・くれた人々がいるということは確認できているわけで、それでもなお寂しいなら、友達にヘルプを出したから治るとかではない。自分はいろんな人に尊重されているのだと思い出せれば治るとかでもない。もっと言うと、家族や恋人がいればこうならないとかでも別にない。
世界に他者が生きている具体性を失っているから寂しいのだ。「自分」になりすぎている。
相対性理論に「小学館」という曲があり、宇宙をひとりで彷徨いながら漫画の続きを読みたがるという歌詞で、自分以外の要素がない世界の寂しさを描いていると思う。現在孤独であるとか問題なのではなくて、「今この瞬間、繋がりの確認方法を見失っている」が、寂しさ。多分。
わたしはピザ屋を呼ぶためにピザを精査し、ピザ屋はわたしのためにピザを焼いて夜の遅い時間に配達してくれ、わたしはありがたく金を払い、ピザを手に入れた。具体的な繋がりが存在していて、ありがとう。今夜ピザ屋はわたしのヒーローだった。
2切れ食べて残りは冷凍し、穏やかに22時就寝。
ピザ屋なき世界になったら困るな。ピザは例だが。
SNSに投稿するかわりに手元の手帳やオンライン日記に何もかも書いている。このオンライン日記を「いったんストップ日記」と呼んでいる。「その書き込み、SNSに公開する前に、いったんストップ! ここに下書きして!」というニュアンスだ。今読んでいただいているこの日記はいったんストップ日記の要約(の、見せて問題ないところ)である。
いったんストップを心がけるようになってから、生活の質が上がったと思う。長く苦しまず、深く悩まず、分析して判断して動けるようになった。SNSに書き込みながら考えるのが好きだったが、通知の反応を見ながら書いていたので、振り回されてもいたと思う。まあ、それはそれで寂しくなくて良かったとは言えるが。
ニュースは入ってこなくなったが、ドデカいのはSNSに張り付いていなくても、一日に2回くらいチラッと見るだけでも、自動的に入ってくるので、困らない。というか、そんなドデカいニュースがない世界がいいに決まっているのだが……。
エジプト展に行きたいとずっと言っているが、果たして無事行けるでしょうか。体調が良かったら明日行きたいです。


※コメントは最大140文字、5回まで送信できます