それ自体が何かへの抵抗

広島の地下街には北海道ショップがある。手に入りにくいラム肉もここでは確実に買える。いいなあ、帰りに何か寄って帰ろうと思いながら前を通りすぎ、帰りに通る頃にはへろへろで何か買うどころではない。

というのが続いたので、今度、特に目的なくあのへんに遊びに行ってコロッケとか食べるといいだろう。


寝入りながら、目ざめながら、次に書くものについて考えている。自分の中で書きたい書きたいが盛り上がっている感じだ。何を書こうと思っていたのかは全然覚えていないことが多く、覚えていても使えないことも多い。でも、この「夢の中でまで、考えている」状態が続けば、いずれぱっと書くだろうと思う。コンディションを整えているのかも。

頭の中がようやくゆっくりめになってきて、ぼんやりできるし気持ちいいと感じる。ずっと気ぜわしかった、とても。詰まっていたタスクが終わったというのもあるけど。


フォロワーさんが出した同人誌のキャンセル分が買えて嬉しかった。楽しみだ。


クリスマスが、なぜか好きだ。別に家庭的なとても良い思い出があるというわけではない。最低限のことはしてもらったと思うが。宗教的なバックグラウンドもない。サンタクロースの存在はかなり長く信じていたのだがあまりよくない形で信じなくなったので、比較的、苦い思い出の方が強い。

にもかかわらずクリスマスが好きで、多分「光」が好きなのだろうと思う。闇の中にともる、人工的な光が好きだ。

朝から、ヨーロッパのクリスマス映像などを眺め、いい気分になった。

家のことを済ませ、ぼんやりしていたいという誘惑を断ち切り、出かける。


広島県立美術館に古代エジプト展が来ていて、絶対に行かねばと思っていた。クトゥルフ神話が好きで、クトゥルフ神話は古代エジプトがけっこう関係あるから。

すごくよかった! 今後巡回予定で福岡・大阪・長野と行くそう(もっと行くかもしれない)らしいので気になる方はチェックしてください。

「日常生活」にかなりフォーカスした内容で、わたしが昔読んだ本では日常ラインのことは難しくて研究が進んでいないと書いてあったので、こんなにわかるようになったんだということにも感動した。「人が生きていた」ことが残るというのはある程度平和じゃないと成り立たないこと……と思ったりもした。

「祖先胸像」がすごくよかった。写真自由だったので撮ってきたため貼ります。

古代エジプト人も信仰や死後や祖先を想うためだけではなく(それが悪いわけではもちろんないが)「友達」の像を飾っていたのかもしれないですよね、ということを、展示の一環として書いてくれた「現代人」に強く感謝した。

常設展も「日常」や「生活」にフォーカスした内容でとてもよかった。古代エジプトの日常と昭和の日本がゆるく繋がる展示。どなたの絵だったか失念してしまったが、「反戦の思いから日常を描いている」というキャプションがあったと思う。

「もう失われてしまったけど、確かにそこにあったもの」に強い関心がある。

生まれたときからずっと広島に住んでいる。県立美術館にも、そこに向かう道のすべてにも、わたしの人生がしみついている。この道を何度も通り、そしていずれ今この瞬間すら過去になる。

かつて生きていた人の普通の瞬間が何かの形で残っていること、遺そうとして、受け取ろうとした人がいるということは、自分の日常にも繋がることだと思う。だいぶまえから、SNSやインターネットで、意識的に「日常」を書いている。それ自体が何かへの抵抗、と思うこともある。そう思っているのはわたしだけではない、と感じた。


しかし広島県立美術館は広すぎる。広い美術館があるのは誇らしいことだが、それにしたって、全部ちゃんと見て食事と休憩の時間を入れると7時間くらいかかる。今回4時間くらいで頑張って回ったのでへとへとになった。混んでたのもあるが……。

「ちょっと美術館でも行く」とかではなく、覚悟のレベルとしてはテーマパークである。

あんまりハードルを上げずにどんどん行った方がよくもあるが……。

全部見るのを諦めて数日掛けて見るか、休憩時間をしっかり取るのも含めて朝8時に家を出て9時の開館から閉館までずっといることにするか、どちらかの道しかない。でも常設展が企画展と繋がっていたりしてその日のうちに見ておきたいこともあり、やはり、昼からちんたら出かけている場合ではない。

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