終.万事OK

 部屋にいる。

 はっと我に返る。和(なごみ)は、丸い電灯を見上げている。祖母が遺した家、真ん中の、いつもの和室。時間が一切過ぎていないかのような錯覚。何もかもが夢だったような。そもそも白城美里(しらき みさと)という存在自体、夢だったような気すらした。

 そのとき、白城(しらき)の声が、部屋に響いた。

「砂川さん。起きた?」

 白城は、いつもよりどこか明るく見えた。開いた襖にいつも通り肩を預けて、縒れたシャツのまま、でも目は光っているというより輝いている、というふうに見える。

「姉さんと話してて、今。疲れたから出直すねって言うから、駅まで送ってってくる。砂川さんはまだ寝ててもいいよ」

「……桜里(おうり)さん?」

「うん。大丈夫。すぐ戻るから。30分くらいかな」

「一緒に行きましょうか」

「……砂川さん」白城は、見たことのない複雑な表情で、笑った。そもそも、笑うところをはじめて見た、とも思ったが。

「俺だって嫉妬する。……行ってくるね!」

 答えを返す暇はなかった。和は、腹の上にかけられたバスタオルを持ち上げて、息をつき、それから、頭を抱えた。


 机がある。

 公園、と、茉優は思う。そうするとそこは公園だった。本って有益、と茉優は思う。そして自分が優秀すぎて惚れ惚れする。

 かつて『壁の内』だった場所は、今、広い自然公園になっている。茉優がそうした。潜流の気配は消えつつある。ただの、広い公園のある町。

 空は晴れ渡り、地方都市の特権として、満天の星がきらめいている。

「まったく。茉優さんは賢くて美しい」

「私の外見に触れるのはタブーだったように思うんだけど」

 目の前には、うだつの上がらない印象の、しかしつややかな髪をした女がいる。茉優が手入れをしてやって仕上げた、さらさらの髪。肌に触れても痛くない。

「少しくらい褒めさせて欲しい。魂の問題でもあるから、美しさって」

「ウイ」茉優は、目の前に座った、彼女の妻の名前を呼んだ。

「結局何がしたかったの? 大騒ぎにして、めちゃくちゃなことばかりして」

「だって茉優さんがこんな、小さな町に閉じ込められているなんて損失だからさあ」神狩ウイはヘラヘラと言った。「向こう側に連れていってあげたかったんだ。こんなくだらない世界に遺していくものなんて何もないって言うと思ってたのに、友達を作って錨を打つなんて狡い」

「狡くありません」茉優は頬杖をついて言い返した。「たまたまだし」

 神狩は顔をあげ、空を見上げた。

「晴れてるね」

「そう。同性愛者が住む町が、曇天に覆われてじめっとしてるなんて、イメージが悪いから、ずっと気に入らなかった。これでいいの。雨も降るし晴れる日もある。普通の町。森なんかもないし」

「潜流もない。一度作った伝説は、しばらくは保たれるだろうけど、もう百年は保たないかもしれないよ。一応、人を守っていたんだけどな、伝説が」

「それより先に、同性愛なんて普通になるでしょう。ウイ。でも、最後に」

「最後に? なに?」

「お願いがあるんだけど」

「うん。何でも。どんなことでも、できることなら」

「できなくてもやって。私、あなたの髪や体を、ここまで五年かけて綺麗にしたので」

「うん。はい。綺麗にされました」

「そろそろ、あなたと、入れ替わりたいの」

 神狩はくすくすと笑い、甘く、「いいですよ」と答えた。


 桜里(おうり)はホテルのチェックインを済ませたところだ。

 遅くなってしまったので家まで戻るのは難しいが、弟たちの邪魔をする気にもなれなかったし、自分の感情がどう動くかも判断が難しかった。

 弟の蓮里(れんり)は、すべて理解したような顔をして、「どんな部屋が好き?」と聞き、駅の待合室でスマートフォンを使って一瞬で隣町のホテルを予約して、支払いまで勝手に済ませてしまった。蓮里は、着替えなんてコンビニで買えるからねとすら、堂々と言っていた。

 その三十分後には、桜里はここに辿り着いていた。

 素敵なホテルだ。どこか中華風の意匠が施されたエレベーターは胸が浮き立った。白い扉を開くと、大きなベッドが出迎えた。

 色々な事があったような気もするし、考えた方がいいこともあると思う。でも不思議とさっぱりしていて、うじうじする気持ちも、苦しめられていた思いも、なくなってしまったように思った。

 明日起きたら母親に電話をしよう、と桜里は思った。いや、急に蓮里を連れていって、有無を言わさないでこれまでのことを説明させたほうがいいかもしれない。蓮里に相談してみよう。わたしたちは先に進みたいと思っている。蓮里も思っている、多分、そうだと、思う。

 どんなに人生が、不完全でも。




「もしもし」

『あ。出た』

「あれ? 誰?」

『誰でしょうか』

「浅野さん? あれ?」

『分かってえらい。ヒント。私たちの部活動は?』

「精神転移……え? え? ほんと?」

『いいでしょう』

「よかったね!」

『許すわ、だから、すべて』

「そういうことね。いいじゃん。許しなよ、すべて」

『浅野茉優ver2を見せてあげるから、今度また遊びましょう』

「俺たち、遊んだこと一回もないけど。ずっと真面目だったけど。あ、でも、そもそも俺、友達と遊んだことってないや」

『そちらはどうでしたか?』

「万事OK」

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