最近、また、朝の光より早く起きている。そうすると、朝の光がぱーっと入ってきたときに、明るくてきれいで驚く。若干のオレンジが入って若干緑に傾いたような、クリーンであたたかい色の光。
昼の光は生活しているとけっこう自然に誰しも見るものだと思うが、朝の光は起きていないと見られない。選んで手に入れた光だと思う。
ゆるノーマネー生活8日目。何かが欲しいというわけではないが、普通に暮らしていたらきっと何かを買っていただろうな、という日だった。忙しくしすぎ、頑張りすぎた。
誰かにねぎらわれたいという気持ちと、誰とも関わりたくないという気持ちが同時に来る。買い物は、そういうとき、ねぎらいであり社会との関わりでもある。別に誰にもねぎらわれていないが、ねぎらわれたような気になるための行動。
が、何か欲しいものがあって買うわけではないのだ、そういうのは。他の、もっと正解の方法があるなら他の方法のほうがいいよな、と考えたが、答えは出なかった。ひとまず、何も買いはしなかった。
忙しくも頑張りすぎもしない日にする、という方がもっといいのかもしれないが。それはハードルが高すぎるとも思う。
あまりに疲れていて、ハンモックにひっくり返って揺られながら鬱々としていたが、やることを思いだし、デスクにもどり、やっているうちに少し回復した。タスクリストが心の常備薬になっている、という側面もあると思う。
忙しかったからだと思うが、編みかけのショールに3箇所も間違いがあった。どうにか取り返せないかやってみたが、編み直した方が早いしきれいになるなと思い、久し振りにずいぶんたくさん解いた。
まあ、解いたぶんたくさん、今度はもっときれいに編めると思えばいいよ。ニッターの常套句だが。あと、そこまで上の空で編んでいたというのも、上の空になるほど考え事をしていたということなので、頭の中は捗っていたのだろう。
1週間で食べたものをふり返り、また次の週の献立を組み立てながら、「電気もガスも水道も生きているという前提ではあるものの、漫然と集めていたレトルトや缶詰や冷凍野菜だけで2週間は暮らせる」という事実に感心する。まとまった量の食べ物がないけどいざというとき大丈夫だろうか、と思っていたが、普段の備蓄で結構どうにでもなるようだ。
もちろん、有事には電気もガスも水道も使えなくなる可能性だってあるので、こんなに簡単ではないだろうが、予行演習のようになってよかった。
次の週の献立を立てたら、食べ物がさすがに心許なくなっているなと気づいたので、3/15前後に一度、食料品の調達が必要だと思う。
しばらく集中してシナリオを書くので、日記どころではなくなるのかもしれないのだが、こういうときこそ、日記をちゃんと書いて、朝の光に気づいていきたいとも思う。
