ゆるノーマネー生活6日目。別に何も欲しくならなかった。
編んでいたショールが編みあがって、完璧に満ち足りていたのだ。

Ravelry: Blue Mere pattern by Marie Petra
洗って整えたほうがいい……のだが、嬉しすぎるので一日、肩にかけて過ごす。細い針でがんばって編んだかいがあり、薄くて全然邪魔にならない。良い感じだ。
わたしは編みものの編んでいる過程も相当好き、というか、過程自体が好きで編んでいるので成果物はさほど重要ではない側面すらあるのだが、それはそうと、編みあがったときの幸福感と達成感は計り知れない。
それは、ずっと手元にあった「未完成のもの」に魂が吹き込まれて、手から離れ、独立した存在になったということ自体の達成感ともいえる。編んでいる最中は指と針を通じて自分の体の一部と思っていたそれが、離れて、自由に、役立っている、道具として魂が吹き込まれたということに、嬉しく驚く。
1ヶ月くらい編んでたらしい。できあがってよかった。そして、この細さの糸でもさくさく編める、ノーストレスで編めるメンタルだということがわかってよかった。はじめて編む細さだったのだ。
手元に編むものがなくて寂しくなった。早急に次を編み始めた。
楽しいことばかりやった一日。5時半に起きて、ショールを編み上げて、コミッションで短歌を頼まれていたのを送り出して、本を読み終わって新しい本を読み始め、餃子を作り、新しいショールを編み始めた。素敵な一日。
こんな素敵な一日のさなかにも人が殺されている、とうっすら思いながら生きるような社会じゃなくなるように、と思うが。
餃子は、大学生の時所属していた中国語研究会の、顧問の先生の、パートナーから教わった。中国語検定を受けるための勉強を放課後一緒にやるというサークルという名目だったが、大抵の時間は中国茶を飲みつつひまわりの種を食べておしゃべりしている、お茶会サークルだった。自宅にも招いて頂いて、餃子の皮の捏ね方を教わった。
わたしは結局、全然、中国語ができるようになっておらず、でもデュオリンゴ(語学アプリ)で一応部分的にわかるので全然身についていないわけではない、らしい。のはともかく、わたしは中国語研究会から、ひまわりの種の殻を割る方法と、餃子の皮の捏ね方だけ覚えて、大学を卒業したのだった。そしてそこから10年くらい、餃子を作るのにハマりまくり、月1くらいで作りまくっていたので、まあ、得意料理と言って差し支えないと思う。5年ぶりくらいで作ったが、計りもせずに一発で水を粉に合わせられ、餡もぴったりの量が作れ、30個できて12個冷凍した。焼けるときの音の変化で仕上がりを把握するのも、ちゃんと覚えていた。
餃子の餡の方は完全に自己流だし、もっというと餃子の皮にする小麦粉の配合も途中から無視して薄力粉だけでやっている(先生のパートナーは強力粉も混ぜるか中力粉で作れと言っていたと思う)。薄力粉だけの皮の方が好きだ。多分水餃子の作り方だと思うのだが焼いて食べているし、ごはんと食べている。餃子の餡には砂糖と醤油を入れる。
完全にチューニングされきっている。中国伝来の、しかし、もう、自分のために改造された、自分だけの餃子である。
この日は春菊の餃子とピーマンの餃子を作り、春菊の餃子はかなりよかった。ピーマンの方は研究の余地あり。
小麦粉がまだあるので、ノーマネー生活中にもう一回餃子をやろうと思う。きゅうりと炒り卵の餃子も好きなのだが、餡を2種類作ってみたら十分な量になってしまい、きゅうりの餃子は作りそびれたから。
最近は本が沢山読めていて嬉しい。『ヤン川の舟唄』も『不思議な薬草箱』も読み終わり、『お姫さま大全』という本を読み始めた。
お姫さまというか、架空のものもふくめ歴史に残った高貴な女性についてまとめた本かな。高貴というのは必ずしもお金持ちとか具体的な身分に限らないような気もするが。2ページずつまとまっているのでさくさくよめていい。絵や写真も多く、多分結構子供向け(小学校高学年くらい?)の本だと思う。いろんな人生。
今、「叶わない願い」とか「結ばれない愛」とかに、関心があるので、とっかかりもいろいろあり、楽しく読んでいる。
兄のためにイラクサのベストを編む、アンデルセン童話の「野の白鳥」も載っていた。昔から好きな話だが、多分編みものの話だから好き、という理由が8割くらいだと思う。
