

セーターを編んだ。
編んだ、というか、4月に編んでいてパーツは編み終わっていたのだが、仕上げるのがだるくて放置されていたものを仕上げた。
仕上げに入ってから、あとちょっとだな……ここだけだな……ここをやれば終わるから……と言っているうちにずるずる時間が経ち、昨日は6時間やっていて、手が痛くなった。
達成感とともに、次のを編み始めたい!!! という、欲求というより強い飢餓感と言った方がいい感覚に襲われる。手が「編むよろこび」を思いだし、「チマチマしたことをやって、楽しくなりつつ、頭の中はからっぽになりたい!!」と主張している。
まあ編み物じゃなくても、ゲーム作っても、HPをいじっても大体同じよろこびだと思うが……。
10月から11月にかけて、全くそれどころではなく、シナリオもゲームも作らなかったし編み物だってしていなかった。よろこびを思いだして、チマチマを、もっとやりたくなっている。とりあえず「編みかけのもの」は何か抱えるとしても、何か他にもやりたいな、この情動を生かして。
実はウェア(着るもの)を編むのは3着目で、セーターははじめて編んだ。5歳くらいで祖母に教わって以降、マフラーは数限りなく編んだが、減らし目のことを考えるのが面倒臭くてウェアに手を出してこなかった。
友達がウェアをたくさん編んでるのを見て、楽しそうに見えて、今年編み始めた。だから今年急に始めたことのひとつだ。
セーターはひとまず課題かなと思ったので編んだが、実際はウールのセーターってあまり着ない。暑がりだから着脱が簡単な服のほうがいい。やはり次はカーディガンだろうか。
12月のwishリストをまとめたので、考えながら生活するようになり、まあまあ捗っている。
大掃除を多少進めたあとで、押し入れから、水彩画の道具を引っ張り出してくる。次は水彩画の教本をパラパラしよう。
ショートブーツは今年は買わなくてもいいかもな……と思い始めた。買ってもいいというかあったほうがいいのはそうなのだが、なにしろ今年はハンモックを買ったので、もう買い物とか別にいいんじゃないのかと思い直している。
大掃除をする都合もあり、家中の灯りをつけて回ったら、けっこうよかった。自分がいない部屋の灯りをつけるのって節約の意味ではよくないと思うが、視覚的な幸福度は上がる。
この家はかなり明るい方とはいえ、冬の間は夏より暗いし、こうやって灯りを増やして生活してもいいかもなと思う。
今日は鍋を煮つつ読書室にこもり、音楽やAudibleを聴きながら、ゆっくり編み物をしたり本を読んだりして、おなかが空いたら読書室を出て鍋をよそって食べる、という生活だった。
巣ごもりの日だった。冬はそういう日が増えるだろう。
ロフティング『ドリトル先生アフリカゆき』をAudibleで聴き終わった。
本編が終わって以降のあらすじ紹介や作者・訳者紹介や、差別的表現における見解パートが、けっこうな分量あって、そうだった、昔の児童文学ってこうだった、ということを懐かしく思いだした。そして本編よりこういう部分が特に好きだった。
ドリトル先生は好きで何度も読んだが、今思うと、わたしはドリトル先生の世界における『月』から多大な影響を受けていると思う。大体は図書館で読んだのだが、何故か『月』三部作だけが実家にあった。読み返したい。
あと時代背景を全然把握していなかったので、今読み返して時代設定を整理すると、色々と気づくことがありそうだ。大体1920~30年代に刊行されたんだな。当時の視点から見る「過去の話」だったのか。
ドリトル先生シリーズってかなりずっと「失われていくもの」と「新しくなるべきこと」について書いていて、「あのころ新しくなるべきだと思っていた、もう今はないもの」について書いているところが好きだった、と、思う。
オーディオブックは目を使わないので編み物のお供に最適かもしれない。次は何を聴こうかな。児童文学をこのまま聴いていくのもいいかも、編み物のお供にするなら。
日記を書くようになって随分すっきりした。
SNSのことは好きだが、好悪を素直に書ける場所では全然ない。SNSばかりやっていたながらくの間、「わたしはこれが嫌い」とか「どうでもいいと思っている」とか、表現する場所がなかった気がする。わたしは本来嫌いなものやどうでもいいものが人より多いのだから、その表現にアイデンティティが含まれていると思う。そういうことを書いた方がいいのだろう。普通に。
「整理はついていないがすごく嫌だと思っている」を、いったん「全然整理はついていないが嫌だと思った」として表現するのも、大事だろうな。

※コメントは最大140文字、5回まで送信できます