中学生の頃、自分の作ったキャラクターとばかり会話をしていた。自分自身では思いつかないはずの言葉が、人たちの言葉として、次々頭の中をめぐっていくのが不思議だった。
環境は最悪で、父親が死んだことで家中が沈みきっていたし、学校ではいじめられていて、そもそも学級崩壊が起こっており、塾のために通っていた遠い町もシャッターばかりで澱んでいた。変なおじさんがたむろして性的な声かけをしてくるような町だった。お金がないので、山を、川辺を、シャッター街を、ひたすら歩き回り、頭の中の人たちと話をし続けていた。
リアルな人間から得られる救いはなく、漫画も小説もきれいな他人事であまりおもしろくなかった。頭の中の人たちだけがわたしを支えていた。
自分にとって一番大切なのは「頭の中の人たち」と過ごすことで、そのためには小説を書くしかないのだと思っていた。だから小説家になるのが夢だった。
頭の中の人たちとの蜜月は、高校受験が終わったら、フッと消滅した。
もっと遠い町まで、一時間かけて自転車で通い始めた。環境が変わっただけではなく多分自転車も好影響を与え、頭の中はすっきりして、たくさん本が読めるようになり、学年で一番図書館を利用している生徒になった。アニメを観て二次創作をするようになり、インターネットを繋いで知り合いがたくさんできた。頭の中の人たちはもう帰ってこないかもしれないと思った。
最悪の環境から自衛するために、ずっと頭の中に住んでいた。頭の外が安全になったので、頭の外で暮らせるようになった。
どうやって生きていくのが正解なのかはわからなくなったが自由になった。
最近、頭の中に人々がいる。
中学生の頃の彼らであることもあるし、以降何年もの間一緒にいた誰かに似ていることもある。別に歩いている間急に話しかけてくることはない。行儀良くわたしの頭のどこかに席を持って、呼びかけたら出てきて話をしてくれる。
30歳くらいのとき、暇だったので投稿用の小説を書いてみて、全然うまくいかなかった。読んでくれた一人が「小説の内容はよくわからないが雰囲気がクトゥルフ神話TRPGに似ている」と言った。それがきっかけでTRPGをはじめて、ゲーム用のキャラクターをたくさん作った。
いつのまにか、ゲーム用のキャラクターと会話をするようになった。
そしていつのまにか、ゲーム用ではないキャラクターも、頭の中にいた。
気がついたら彼らは頭の中に席を持っていた。わたしは彼らと話ができるようになっていた。愛着を抱き、彼らの人生の全部を自由に引き出せるようになっていた。彼らは、とても自然に、帰ってきていた。
人生って急に「あのときの自分」と繋がることがあり、それは時間を無視して接続するというのではなくて、でも時間軸は関係ないという感じもする。「時間」というのは、「人生で起こった要素」が次々放り込まれる鍋で、年月を経るごとにどんどん濃くなっていくけど、どこかの時点と同じ味になることもある。という感じ。
中学一年生のわたしが住んでいた石壁の町の曇天に、わたしはいる。
いつでも帰れる。

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