ちまちました魚を4パック

ついに! 買い出しをした。3月1日からゆるノーマネー生活をやっていて、家にあるもので暮らしていたのだが、なんとなく精神が荒廃してきたのを感じたし、タンパク質不足な気もしたので、スーパーマーケットを解禁することにした。

とにかくタンパク質が足りないというかごはんのおともになるものがなくなってきていた。何か、今日の晩ごはんのおかずになるものを少し買ってもいいな、と思って入ったスーパーマーケットで、魚がすごく安くなっていたので、たくさん買った。ついでに春キャベツとニラと挽肉、ヨーグルトとブルーベリー、も買った。餃子にハマりつつあるので作りたい、のと、やはり生活にブルーベリーヨーグルトが欲しかった。

全然買い物をしていなかったあとなので、2000円くらいで豊かな気持ちになれてよかった。

ちまちました魚を4パック買って、すぐには食べられないので冷凍した。明日はフライをやろうかな。

昨日に続いて今日も買い出しをした。もう全然ゆるノーマネー生活は終わり、いったん終わりということでいいのかもしれない。だからノーマネー生活だったのは8日間かな。

まあでも、買いたいものが思いついた時点でじゃかじゃか買い物をせず、欲しい度数を都度真剣に考えながら暮らすのはかなりおもしろい――というか、それもまた、おもしろいというべきかもしれないが、ということがわかったので、今後も意識はしたい。


精神科の通院日だった。減薬をしましょうと以前から言われていたので、する……か! ということになる。生活の区切りは悪いのだが、区切りがよくなるまで減薬はしたくないと言っていると、いつまでも区切りがよくならないので、きっと……。

減薬をすると、みるみる調子が悪くなるときと、ものすごくハイになって挙動が変になるときがある。

今回減らす、というか、全然なくす薬は以前も減らしたことがあって、そのときものすごくハイになった結果、新裏庭(このHP)を立ち上げて日記を書き始めた。だから何か、「今始めなくても全然いいんだけど、やりたくて仕方ないので、やるね!」といって始めてしまう可能性があり、戦々恐々としている。

始めたっていいっちゃいいのだが、この日記も楽しく続いているし。でも今、長いシナリオを書いている最中なので、あんまり大変なことにはなりたくないのだが。

どうなることでしょうか。

減るの自体は嬉しい。元気になったということだから。


病院のあと、なにかごはんを食べて帰るか悩み、しかし駅があまりに混んでるのでラッシュに巻き込まれないように帰るか……と思い、ごはんを買って帰るかまた悩み、結局前述の通り魚を買った。しばらく魚が食べられるので、いい判断だったと思う。


友達と話していて、子供の頃、「色がきれい」ということがすごく大事だったということを思い出す。ドラえもんの映画で一番好きなのは「アニマルプラネット」なのだが、この映画は色がきれいなのである。内容はゴリゴリの社会派なのだが。

ミンキーモモが好きだったのも、色がきれいだからだな。チンプイも。くすみパステルみたいな色が子供の頃から好きだった。

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堅あげポテト

大学の卒業式に、いろいろなアクシデントが次々起こり、なかなか出席できないという悪夢を見た。と、思ったら、卒業式ってそろそろだったらしい。どこかで見かけて、ひっかかっていたから、夢に見たのかもしれない。


作業通話を主催しており、本当にずーっとやっている。今は、平日の朝9時くらいから夜22時くらいまで、2時間くらいずつあけたりしめたりしている。日常であり、職場であり、憩いの場であり、情報交換の場である。最近SNSをあんまりやらなくなったので、作業通話しか人との接点がないすらある。それは言い過ぎだが……。

書いているシナリオが難しく、しばらく通話を開けなかった。シナリオ自体も寂しいのだが、作業通話を開けていないことで寂しくなりすぎ、グデグデになる。人と話していなくて寂しいというより、シナリオ自体の寂しさに向き合いすぎて逃げ場がなかった。

依存をするのはよくないと思うが、それはそうと人との接点がなさ過ぎる生活もよくない。


ゆるノーマネー生活9日目。

なんと……買い物をした。だから実はノーマネーでもなんでもないのだが、日数カウントがずれるとだるいので、買った日も通算に入れます。「ゆる」ノーマネー生活だし。

買ったのは、ジャジャーン。堅あげポテトである。硬くてバリバリタイプのポテトチップスだ。

なにをやっても、散歩に出て日の光を浴びても、全然落ち着かず、頭の中がクシャクシャしていた。ゆるく丸めた紙を詰め込んだ籠を揺らすたびにクシャクシャ音がする感じで集中できない。

人との接点を持つか……と思い、何を買うつもりでもなくコンビニに入って、熟考の末、堅あげポテトを買った。間違いなく美味しくて、間違いなく満足できると確信が持てて、8日間のノーマネー生活をやぶるに相応しい安さである、という点がポイントだった。うすしお味。堅あげポテトのうすしお味は塩味というか出汁味である。そこもいい。

一気に食べて満足し、午後の業務もやり遂げられた。

ポテトチップスっていい。栄養も進捗も関係がない、無の時間を彩る食べ物。ゆとりとぼんやり、ひっくり返って天井を見ている味がする。


一日のルーティーンの中に「読書」という項目がある。いつどのタイミングで読んでもいいことになっているが、基本的に昼ごはんのお供に読む。

資料の本は読んでいたのだが、資料の本以外を読む時間を取らなかったと気づき、寝る前にミネストローネを啜りつつ『猫の神話』を数ページ読み進めた。

本を読むこと自体というより、本をゆっくり読めるような精神状態であってほしい、って感じなのだが、まあ、そんな精神状態ではないのだ、要するに。


井上陽水を聴きまくっている。シナリオのイメソンとかでは全然なく、なにもしたくなくなった夜に編みものをしながら聴いている。

以前、友人が、自分の情操を育てたのはBUMP OF CHICKENであるという話を熱く語っていて、自分にはそういうのあるかなと考えていたのだが、井上陽水だな。一曲あげるなら「最後のニュース」だ。「最後のニュース」には、自分の書きたいことがだいたい全部詰まっている。

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タスクリストが心の常備薬

最近、また、朝の光より早く起きている。そうすると、朝の光がぱーっと入ってきたときに、明るくてきれいで驚く。若干のオレンジが入って若干緑に傾いたような、クリーンであたたかい色の光。

昼の光は生活しているとけっこう自然に誰しも見るものだと思うが、朝の光は起きていないと見られない。選んで手に入れた光だと思う。


ゆるノーマネー生活8日目。何かが欲しいというわけではないが、普通に暮らしていたらきっと何かを買っていただろうな、という日だった。忙しくしすぎ、頑張りすぎた。

誰かにねぎらわれたいという気持ちと、誰とも関わりたくないという気持ちが同時に来る。買い物は、そういうとき、ねぎらいであり社会との関わりでもある。別に誰にもねぎらわれていないが、ねぎらわれたような気になるための行動。

が、何か欲しいものがあって買うわけではないのだ、そういうのは。他の、もっと正解の方法があるなら他の方法のほうがいいよな、と考えたが、答えは出なかった。ひとまず、何も買いはしなかった。

忙しくも頑張りすぎもしない日にする、という方がもっといいのかもしれないが。それはハードルが高すぎるとも思う。

あまりに疲れていて、ハンモックにひっくり返って揺られながら鬱々としていたが、やることを思いだし、デスクにもどり、やっているうちに少し回復した。タスクリストが心の常備薬になっている、という側面もあると思う。


忙しかったからだと思うが、編みかけのショールに3箇所も間違いがあった。どうにか取り返せないかやってみたが、編み直した方が早いしきれいになるなと思い、久し振りにずいぶんたくさん解いた。

まあ、解いたぶんたくさん、今度はもっときれいに編めると思えばいいよ。ニッターの常套句だが。あと、そこまで上の空で編んでいたというのも、上の空になるほど考え事をしていたということなので、頭の中は捗っていたのだろう。


1週間で食べたものをふり返り、また次の週の献立を組み立てながら、「電気もガスも水道も生きているという前提ではあるものの、漫然と集めていたレトルトや缶詰や冷凍野菜だけで2週間は暮らせる」という事実に感心する。まとまった量の食べ物がないけどいざというとき大丈夫だろうか、と思っていたが、普段の備蓄で結構どうにでもなるようだ。

もちろん、有事には電気もガスも水道も使えなくなる可能性だってあるので、こんなに簡単ではないだろうが、予行演習のようになってよかった。

次の週の献立を立てたら、食べ物がさすがに心許なくなっているなと気づいたので、3/15前後に一度、食料品の調達が必要だと思う。


しばらく集中してシナリオを書くので、日記どころではなくなるのかもしれないのだが、こういうときこそ、日記をちゃんと書いて、朝の光に気づいていきたいとも思う。

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冒険心

3月7日の朝、11時に起床した。やばい。

13時からTRPGのセッションを予定していた。わたしは朝のデイリールーティーンをこなすのに2時間かかる。つまり、ごはんを食べている暇がない。

それなのにSNSを開き、ちんたら遊んでいて、なおさら時間がなくなる。デイリーをこなしながらトーストを食べ、TRPGセッションの準備をしながらBASEブレッドを食べる。足りなくなり、セッション中に、冷凍のバナナパンケーキを温めた。

無事終わってよかった。楽しい卓だった。すっかりいい気持ちになる。

わたしはもう何年も、「ラヴクラフトの幻夢境」という、異世界ファンタジーの世界にハマっている。ここ数年で幻夢境シナリオを書いている人は増えたのだが、あまりテンションが一致しないなとは感じる。まあそれは仕方ないが、友達が同じテンション感でシナリオを書いてくれて嬉しい。

この体験を10年囓って生きよう。


ゆるノーマネー生活7日目。欲しいものはとくにない。もうじきコーヒーが切れるし、もうじきポン酢も切れるのだが、まあ切れたら切れたでどうにでもするだろう。

ゆるノーマネー生活に慣れて買い物に対する感覚が鈍くなっているのもあるが、何時何時までこれを保たせなくてはとか思わずじゃんじゃん、持っているものを使いまくっているのも大きいと思う。この日はツナときゅうりでちらし寿司を作った。

「今、ここにあるもの」で回さなくてはね、という緊張感はあまりなく、この家、いろんなものがあるな~という、探索というか、冒険心じみた気持ちで暮らしている。自分で揃えたものなのだが。

まあでもこれで、ひとつしかなかったツナ缶も使ってしまった。

サバ缶は2つあるが、どうしようかな、サバ缶ではこのハンバーグをもっぱら作っていたのだが。

【簡単!!】サバ缶と豆腐のハンバーグ | 山本ゆりオフィシャルブログ「含み笑いのカフェごはん『syunkon』」Powered by Ameba

豆腐がないのである。豆腐以外はすべてあるので、ぬきで成り立つかやってみてもいいけど。


読書室を、名前通り読書のために使っている。どかどか本を読んでいる。5冊くらい平行している。良い感じだ。こういうときこそ、読書してる~って感じがする。

この家の部屋の名前をつけたのは当然ながらわたしなので、読書室、として、図書室、にしなかったのは、図書館に色々な複雑な思いがあるからだ。間違ったこともしたし、変なこともあった。かつての職場でもあったし、学習のために通い詰めたし、友達と待ち合わせもした。人生の一部分すぎるし、トラウマだった時期もある。比喩でなく、図書館に入るとパニック障害の発作が起こって倒れかける時期もあった。

読書室の本棚は低くL字に作ってあり、いずれこの高さじゃ入りきらなくなるのかもしれないが、図書室というよりも、子供が絵本を開くような空間としてインテリアを組んだ。圧迫感はないが、守られている感じがする。おだやかに本が読める、いい部屋である。

この部屋では本を読むより手芸をしていた時間の方が多いのだが、今は立派に読書室として機能している。しかし、本を何冊も並べてあれこれと読み比べていると、在りし日、まだわたしと図書館の間に蜜月が成立していた十代から二十代の頃を、なつかしく思い出す。

時が経って、発作は起きなくなった。図書館は近いのでまた行こう。


いい卓といい読書を経て、シナリオが書きたくなり、2週間ほど塩漬けにしていたシナリオに着手したので、忙しくなるかもしれない。無理のないように進めたい。ゆるノーマネー生活が支えになるといいと思う。無理しても、反動のドカ買いは、今はありませんからね。

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自分だけの餃子

ゆるノーマネー生活6日目。別に何も欲しくならなかった。

編んでいたショールが編みあがって、完璧に満ち足りていたのだ。

Ravelry: Blue Mere pattern by Marie Petra

洗って整えたほうがいい……のだが、嬉しすぎるので一日、肩にかけて過ごす。細い針でがんばって編んだかいがあり、薄くて全然邪魔にならない。良い感じだ。

わたしは編みものの編んでいる過程も相当好き、というか、過程自体が好きで編んでいるので成果物はさほど重要ではない側面すらあるのだが、それはそうと、編みあがったときの幸福感と達成感は計り知れない。

それは、ずっと手元にあった「未完成のもの」に魂が吹き込まれて、手から離れ、独立した存在になったということ自体の達成感ともいえる。編んでいる最中は指と針を通じて自分の体の一部と思っていたそれが、離れて、自由に、役立っている、道具として魂が吹き込まれたということに、嬉しく驚く。

1ヶ月くらい編んでたらしい。できあがってよかった。そして、この細さの糸でもさくさく編める、ノーストレスで編めるメンタルだということがわかってよかった。はじめて編む細さだったのだ。

手元に編むものがなくて寂しくなった。早急に次を編み始めた。


楽しいことばかりやった一日。5時半に起きて、ショールを編み上げて、コミッションで短歌を頼まれていたのを送り出して、本を読み終わって新しい本を読み始め、餃子を作り、新しいショールを編み始めた。素敵な一日。

こんな素敵な一日のさなかにも人が殺されている、とうっすら思いながら生きるような社会じゃなくなるように、と思うが。


餃子は、大学生の時所属していた中国語研究会の、顧問の先生の、パートナーから教わった。中国語検定を受けるための勉強を放課後一緒にやるというサークルという名目だったが、大抵の時間は中国茶を飲みつつひまわりの種を食べておしゃべりしている、お茶会サークルだった。自宅にも招いて頂いて、餃子の皮の捏ね方を教わった。

わたしは結局、全然、中国語ができるようになっておらず、でもデュオリンゴ(語学アプリ)で一応部分的にわかるので全然身についていないわけではない、らしい。のはともかく、わたしは中国語研究会から、ひまわりの種の殻を割る方法と、餃子の皮の捏ね方だけ覚えて、大学を卒業したのだった。そしてそこから10年くらい、餃子を作るのにハマりまくり、月1くらいで作りまくっていたので、まあ、得意料理と言って差し支えないと思う。5年ぶりくらいで作ったが、計りもせずに一発で水を粉に合わせられ、餡もぴったりの量が作れ、30個できて12個冷凍した。焼けるときの音の変化で仕上がりを把握するのも、ちゃんと覚えていた。

餃子の餡の方は完全に自己流だし、もっというと餃子の皮にする小麦粉の配合も途中から無視して薄力粉だけでやっている(先生のパートナーは強力粉も混ぜるか中力粉で作れと言っていたと思う)。薄力粉だけの皮の方が好きだ。多分水餃子の作り方だと思うのだが焼いて食べているし、ごはんと食べている。餃子の餡には砂糖と醤油を入れる。

完全にチューニングされきっている。中国伝来の、しかし、もう、自分のために改造された、自分だけの餃子である。

この日は春菊の餃子とピーマンの餃子を作り、春菊の餃子はかなりよかった。ピーマンの方は研究の余地あり。

小麦粉がまだあるので、ノーマネー生活中にもう一回餃子をやろうと思う。きゅうりと炒り卵の餃子も好きなのだが、餡を2種類作ってみたら十分な量になってしまい、きゅうりの餃子は作りそびれたから。


最近は本が沢山読めていて嬉しい。『ヤン川の舟唄』も『不思議な薬草箱』も読み終わり、『お姫さま大全』という本を読み始めた。

お姫さまというか、架空のものもふくめ歴史に残った高貴な女性についてまとめた本かな。高貴というのは必ずしもお金持ちとか具体的な身分に限らないような気もするが。2ページずつまとまっているのでさくさくよめていい。絵や写真も多く、多分結構子供向け(小学校高学年くらい?)の本だと思う。いろんな人生。

今、「叶わない願い」とか「結ばれない愛」とかに、関心があるので、とっかかりもいろいろあり、楽しく読んでいる。

兄のためにイラクサのベストを編む、アンデルセン童話の「野の白鳥」も載っていた。昔から好きな話だが、多分編みものの話だから好き、という理由が8割くらいだと思う。

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