なんだか朦朧としている

睡眠薬の減薬が始まって初日だった。気圧がどかんと下がったのも多分影響していて、本当に眠い。週休日なのをいいことにほとんど寝て過ごす。

数えたら、結局、6時間昼寝していた。昼寝というか寝込んでいたという感じだな。

起きて餃子を作って食べ、寝て、起きて餃子を作って食べていたので、寝ていないときは元気だった。餃子は体力の要る料理だ。元気じゃないと作れない。28個の餃子を作って平らげた以外はほとんど寝ていた日。

合間に4時間シナリオを書き、家事もかなりの量やったので充実はしていた。

お気に入りのエプロンを着けて、楽しく過ごす。


この日の餃子は、ふつうのニラキャベツのと、きゅうりと炒り卵のと、ほうれん草の。

餃子の具を近頃色々調べているのだが、ほうれん草はかなりいいかも。冷凍ほうれん草を解凍して絞って挽肉を混ぜて、ちょっと塩味、だけでいい。野菜部分はほぼ何もしないに等しいので気軽に作れる。

自分の認識としては、餃子は野菜の香りを楽しむための料理なので、ほうれん草も香りが立ってよかった。野菜の香りが苦手な人は向いていないかもだが。


シナリオが軌道に乗らないので通話とかやってる場合じゃないかもしれないな~、と寂しがっていたが、ビシッと軌道に乗った手応えを得る。喋りながら書いていても1時間1000字は自動的に進んでいるくらいのペースになった。

もちろん喋ってない方が早いのだが、寂しくて鬱々しつつあと2週間くらいひとりで過ごすより、多少ペースが落ちても人と喋りながら楽しく進めたほうが、いい……いいときもある。ひとりのほうがさすがにいいというときもある。

計算したら10万字くらいのシナリオになるらしい。まあ、どうせあと2週間くらいはかかると思う。焦っても仕方ないので、のんびり書こう。と言っている間にバーッと書き上げてしまうのかもしれないが。

10万字って充分にめちゃくちゃ長いと感じる。これ以上長くならないようにばさばさ削りつつ進めている。旅行のシナリオなので、本当はもっと細かく、食事がどうとか、毎日泊まっている宿がどうとか、書きたい気持ちはあるのだが。


まあ、でもなんだか朦朧としているな。記憶の細かいところが曖昧だ。減薬始めたばっかりだからしょうがないか。

スイッチが切れてバタッと眠り、スイッチが入ってチャカチャカッと動く、という状態だったので、ネジ式の玩具みたいだった。進捗はあるのだが、生活の細かい機微はよく見えない。

薬を減らすといろんなことが起こっておもしろいとは思う。同じ薬を同じ量減らしても、そのときどきによって違う生活になる。

このまま落ち着くといいですね。


『猫の神話』を読んでいて、この本は神話というかおとぎ話や民話にあたるようなエピソードもいっぱい載っているのだが、自分の芯にあるのは「おとぎ話の世界」であるなと感じる。ファンタジーというよりも。

今読んで良かった。

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ちまちました魚を4パック

ついに! 買い出しをした。3月1日からゆるノーマネー生活をやっていて、家にあるもので暮らしていたのだが、なんとなく精神が荒廃してきたのを感じたし、タンパク質不足な気もしたので、スーパーマーケットを解禁することにした。

とにかくタンパク質が足りないというかごはんのおともになるものがなくなってきていた。何か、今日の晩ごはんのおかずになるものを少し買ってもいいな、と思って入ったスーパーマーケットで、魚がすごく安くなっていたので、たくさん買った。ついでに春キャベツとニラと挽肉、ヨーグルトとブルーベリー、も買った。餃子にハマりつつあるので作りたい、のと、やはり生活にブルーベリーヨーグルトが欲しかった。

全然買い物をしていなかったあとなので、2000円くらいで豊かな気持ちになれてよかった。

ちまちました魚を4パック買って、すぐには食べられないので冷凍した。明日はフライをやろうかな。

昨日に続いて今日も買い出しをした。もう全然ゆるノーマネー生活は終わり、いったん終わりということでいいのかもしれない。だからノーマネー生活だったのは8日間かな。

まあでも、買いたいものが思いついた時点でじゃかじゃか買い物をせず、欲しい度数を都度真剣に考えながら暮らすのはかなりおもしろい――というか、それもまた、おもしろいというべきかもしれないが、ということがわかったので、今後も意識はしたい。


精神科の通院日だった。減薬をしましょうと以前から言われていたので、する……か! ということになる。生活の区切りは悪いのだが、区切りがよくなるまで減薬はしたくないと言っていると、いつまでも区切りがよくならないので、きっと……。

減薬をすると、みるみる調子が悪くなるときと、ものすごくハイになって挙動が変になるときがある。

今回減らす、というか、全然なくす薬は以前も減らしたことがあって、そのときものすごくハイになった結果、新裏庭(このHP)を立ち上げて日記を書き始めた。だから何か、「今始めなくても全然いいんだけど、やりたくて仕方ないので、やるね!」といって始めてしまう可能性があり、戦々恐々としている。

始めたっていいっちゃいいのだが、この日記も楽しく続いているし。でも今、長いシナリオを書いている最中なので、あんまり大変なことにはなりたくないのだが。

どうなることでしょうか。

減るの自体は嬉しい。元気になったということだから。


病院のあと、なにかごはんを食べて帰るか悩み、しかし駅があまりに混んでるのでラッシュに巻き込まれないように帰るか……と思い、ごはんを買って帰るかまた悩み、結局前述の通り魚を買った。しばらく魚が食べられるので、いい判断だったと思う。


友達と話していて、子供の頃、「色がきれい」ということがすごく大事だったということを思い出す。ドラえもんの映画で一番好きなのは「アニマルプラネット」なのだが、この映画は色がきれいなのである。内容はゴリゴリの社会派なのだが。

ミンキーモモが好きだったのも、色がきれいだからだな。チンプイも。くすみパステルみたいな色が子供の頃から好きだった。

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堅あげポテト

大学の卒業式に、いろいろなアクシデントが次々起こり、なかなか出席できないという悪夢を見た。と、思ったら、卒業式ってそろそろだったらしい。どこかで見かけて、ひっかかっていたから、夢に見たのかもしれない。


作業通話を主催しており、本当にずーっとやっている。今は、平日の朝9時くらいから夜22時くらいまで、2時間くらいずつあけたりしめたりしている。日常であり、職場であり、憩いの場であり、情報交換の場である。最近SNSをあんまりやらなくなったので、作業通話しか人との接点がないすらある。それは言い過ぎだが……。

書いているシナリオが難しく、しばらく通話を開けなかった。シナリオ自体も寂しいのだが、作業通話を開けていないことで寂しくなりすぎ、グデグデになる。人と話していなくて寂しいというより、シナリオ自体の寂しさに向き合いすぎて逃げ場がなかった。

依存をするのはよくないと思うが、それはそうと人との接点がなさ過ぎる生活もよくない。


ゆるノーマネー生活9日目。

なんと……買い物をした。だから実はノーマネーでもなんでもないのだが、日数カウントがずれるとだるいので、買った日も通算に入れます。「ゆる」ノーマネー生活だし。

買ったのは、ジャジャーン。堅あげポテトである。硬くてバリバリタイプのポテトチップスだ。

なにをやっても、散歩に出て日の光を浴びても、全然落ち着かず、頭の中がクシャクシャしていた。ゆるく丸めた紙を詰め込んだ籠を揺らすたびにクシャクシャ音がする感じで集中できない。

人との接点を持つか……と思い、何を買うつもりでもなくコンビニに入って、熟考の末、堅あげポテトを買った。間違いなく美味しくて、間違いなく満足できると確信が持てて、8日間のノーマネー生活をやぶるに相応しい安さである、という点がポイントだった。うすしお味。堅あげポテトのうすしお味は塩味というか出汁味である。そこもいい。

一気に食べて満足し、午後の業務もやり遂げられた。

ポテトチップスっていい。栄養も進捗も関係がない、無の時間を彩る食べ物。ゆとりとぼんやり、ひっくり返って天井を見ている味がする。


一日のルーティーンの中に「読書」という項目がある。いつどのタイミングで読んでもいいことになっているが、基本的に昼ごはんのお供に読む。

資料の本は読んでいたのだが、資料の本以外を読む時間を取らなかったと気づき、寝る前にミネストローネを啜りつつ『猫の神話』を数ページ読み進めた。

本を読むこと自体というより、本をゆっくり読めるような精神状態であってほしい、って感じなのだが、まあ、そんな精神状態ではないのだ、要するに。


井上陽水を聴きまくっている。シナリオのイメソンとかでは全然なく、なにもしたくなくなった夜に編みものをしながら聴いている。

以前、友人が、自分の情操を育てたのはBUMP OF CHICKENであるという話を熱く語っていて、自分にはそういうのあるかなと考えていたのだが、井上陽水だな。一曲あげるなら「最後のニュース」だ。「最後のニュース」には、自分の書きたいことがだいたい全部詰まっている。

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タスクリストが心の常備薬

最近、また、朝の光より早く起きている。そうすると、朝の光がぱーっと入ってきたときに、明るくてきれいで驚く。若干のオレンジが入って若干緑に傾いたような、クリーンであたたかい色の光。

昼の光は生活しているとけっこう自然に誰しも見るものだと思うが、朝の光は起きていないと見られない。選んで手に入れた光だと思う。


ゆるノーマネー生活8日目。何かが欲しいというわけではないが、普通に暮らしていたらきっと何かを買っていただろうな、という日だった。忙しくしすぎ、頑張りすぎた。

誰かにねぎらわれたいという気持ちと、誰とも関わりたくないという気持ちが同時に来る。買い物は、そういうとき、ねぎらいであり社会との関わりでもある。別に誰にもねぎらわれていないが、ねぎらわれたような気になるための行動。

が、何か欲しいものがあって買うわけではないのだ、そういうのは。他の、もっと正解の方法があるなら他の方法のほうがいいよな、と考えたが、答えは出なかった。ひとまず、何も買いはしなかった。

忙しくも頑張りすぎもしない日にする、という方がもっといいのかもしれないが。それはハードルが高すぎるとも思う。

あまりに疲れていて、ハンモックにひっくり返って揺られながら鬱々としていたが、やることを思いだし、デスクにもどり、やっているうちに少し回復した。タスクリストが心の常備薬になっている、という側面もあると思う。


忙しかったからだと思うが、編みかけのショールに3箇所も間違いがあった。どうにか取り返せないかやってみたが、編み直した方が早いしきれいになるなと思い、久し振りにずいぶんたくさん解いた。

まあ、解いたぶんたくさん、今度はもっときれいに編めると思えばいいよ。ニッターの常套句だが。あと、そこまで上の空で編んでいたというのも、上の空になるほど考え事をしていたということなので、頭の中は捗っていたのだろう。


1週間で食べたものをふり返り、また次の週の献立を組み立てながら、「電気もガスも水道も生きているという前提ではあるものの、漫然と集めていたレトルトや缶詰や冷凍野菜だけで2週間は暮らせる」という事実に感心する。まとまった量の食べ物がないけどいざというとき大丈夫だろうか、と思っていたが、普段の備蓄で結構どうにでもなるようだ。

もちろん、有事には電気もガスも水道も使えなくなる可能性だってあるので、こんなに簡単ではないだろうが、予行演習のようになってよかった。

次の週の献立を立てたら、食べ物がさすがに心許なくなっているなと気づいたので、3/15前後に一度、食料品の調達が必要だと思う。


しばらく集中してシナリオを書くので、日記どころではなくなるのかもしれないのだが、こういうときこそ、日記をちゃんと書いて、朝の光に気づいていきたいとも思う。

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冒険心

3月7日の朝、11時に起床した。やばい。

13時からTRPGのセッションを予定していた。わたしは朝のデイリールーティーンをこなすのに2時間かかる。つまり、ごはんを食べている暇がない。

それなのにSNSを開き、ちんたら遊んでいて、なおさら時間がなくなる。デイリーをこなしながらトーストを食べ、TRPGセッションの準備をしながらBASEブレッドを食べる。足りなくなり、セッション中に、冷凍のバナナパンケーキを温めた。

無事終わってよかった。楽しい卓だった。すっかりいい気持ちになる。

わたしはもう何年も、「ラヴクラフトの幻夢境」という、異世界ファンタジーの世界にハマっている。ここ数年で幻夢境シナリオを書いている人は増えたのだが、あまりテンションが一致しないなとは感じる。まあそれは仕方ないが、友達が同じテンション感でシナリオを書いてくれて嬉しい。

この体験を10年囓って生きよう。


ゆるノーマネー生活7日目。欲しいものはとくにない。もうじきコーヒーが切れるし、もうじきポン酢も切れるのだが、まあ切れたら切れたでどうにでもするだろう。

ゆるノーマネー生活に慣れて買い物に対する感覚が鈍くなっているのもあるが、何時何時までこれを保たせなくてはとか思わずじゃんじゃん、持っているものを使いまくっているのも大きいと思う。この日はツナときゅうりでちらし寿司を作った。

「今、ここにあるもの」で回さなくてはね、という緊張感はあまりなく、この家、いろんなものがあるな~という、探索というか、冒険心じみた気持ちで暮らしている。自分で揃えたものなのだが。

まあでもこれで、ひとつしかなかったツナ缶も使ってしまった。

サバ缶は2つあるが、どうしようかな、サバ缶ではこのハンバーグをもっぱら作っていたのだが。

【簡単!!】サバ缶と豆腐のハンバーグ | 山本ゆりオフィシャルブログ「含み笑いのカフェごはん『syunkon』」Powered by Ameba

豆腐がないのである。豆腐以外はすべてあるので、ぬきで成り立つかやってみてもいいけど。


読書室を、名前通り読書のために使っている。どかどか本を読んでいる。5冊くらい平行している。良い感じだ。こういうときこそ、読書してる~って感じがする。

この家の部屋の名前をつけたのは当然ながらわたしなので、読書室、として、図書室、にしなかったのは、図書館に色々な複雑な思いがあるからだ。間違ったこともしたし、変なこともあった。かつての職場でもあったし、学習のために通い詰めたし、友達と待ち合わせもした。人生の一部分すぎるし、トラウマだった時期もある。比喩でなく、図書館に入るとパニック障害の発作が起こって倒れかける時期もあった。

読書室の本棚は低くL字に作ってあり、いずれこの高さじゃ入りきらなくなるのかもしれないが、図書室というよりも、子供が絵本を開くような空間としてインテリアを組んだ。圧迫感はないが、守られている感じがする。おだやかに本が読める、いい部屋である。

この部屋では本を読むより手芸をしていた時間の方が多いのだが、今は立派に読書室として機能している。しかし、本を何冊も並べてあれこれと読み比べていると、在りし日、まだわたしと図書館の間に蜜月が成立していた十代から二十代の頃を、なつかしく思い出す。

時が経って、発作は起きなくなった。図書館は近いのでまた行こう。


いい卓といい読書を経て、シナリオが書きたくなり、2週間ほど塩漬けにしていたシナリオに着手したので、忙しくなるかもしれない。無理のないように進めたい。ゆるノーマネー生活が支えになるといいと思う。無理しても、反動のドカ買いは、今はありませんからね。

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