一次創作の小説を書いていると良いことがいろいろあるので、このままのんびり書けたらいいよな~と思う。
わたしの今の主だった創作物はクトゥルフ神話TRPGのシナリオで、まあまあ評価されている方だと思うし頑張ってもいるし世論の流れにチューニングを合わせるのもそんなに無理ではないという状態で楽しく続けている。
そして小説では「そう」うまくはいかない気がする。良くも悪くも、クトゥルフ神話TRPGに関してはたいしてプライドがないので上手くいき、小説は上手くやるにはプライドが邪魔、という気がする。そして、それくらいの方が心を守れるというか、誰のためでもなく自分のために小説を書いて楽しく過ごせる、とも思う。良くも悪くも、TRPGシナリオって別に「自分のために書いてる」わけではない。
しかし、クオリティとか頑張れるかとかはともかく、小説を書くと、とにかくジャンルレスにいろんな人が読んでくれる。というか、読んでくれなくてもよくて、「小説とか書いてるんだ~」と思ってもらえる。
TRPGのシナリオはTRPGをやらない人にはほぼ関係のないものだが、小説は小説を読まない人にも「あ~、小説とか書いてるんだ~」と、思われる存在、という感触がある。かつ、二次創作の小説だと「知らないジャンルだな……」とかのワンクッションが挟まるが、一次創作の小説は本当に「へえ~、小説書いてるんだ~」で、完全に伝わったという、感じが、する。
「関わっている」感じがして、それがいいな……と思っている。ながらく、小説を、孤絶した環境で書きすぎたのかもしれない。
やや語弊があるが、「通りのよい説明可能な職業に就いたので、親が安心した感触がある」に近いものを感じる。それがちょっと面白い。これが、一次創作の小説を書いて良いことのひとつだ。
書きたいものはいろいろあるし、二次創作だってプロットだけ立てて書いていないものがたくさんあるのだが、人生の方向としては、このまま一次創作を書いたらそれで合ってる気がしている。
哉村哉子が今日買ったすばらしいもの、な~んだ。
という、バカの水平思考ゲームを、作業通話で出して、無事当ててもらった。浮かれている。
解答は、また後日。
広島にエジプト展が来ているのをすっかり忘れていて、慌ててスケジュールを立てた。クトゥルフ神話はエジプトや砂漠が舞台ということが割とあるので絶対に見ておかないとまずい。
広島県立美術館は本当に、本当に広いので、行くときは覚悟が要る。が、常設展も見たいな。本当に、本当に広い常設展だが。
部屋掃除をしながらAudibleで『ドリトル先生アフリカゆき』を聴いていた。Audibleでは、既読のものを探してきて聴いている。
「オシツオサレツ(『ドリトル先生』シリーズに出てくる架空生物)は、今では根絶しています」のところで急に泣く。
ドリトル先生シリーズは、基本的にもう過ぎ去った話という設定なので、ここで行われたすべての善意は世界から失われたのだ……と思って急に泣いてしまうことがある。
作業通話が盛り上がり、いろんな話をした。ガンダムは女も、女児も、大好き。子供の頃の習い事。子供って木があると登ってしまって危ない。などなど、基本的には子供の頃の話をしていたように思う。
子供の頃のわたしは「箱集め屋さん」だった。
箱と見るとすべて集め、箱の中に箱をきっちり詰めて、箱の塊を作るのが大好きだった。お菓子の箱やオモチャの箱は思い出が詰まっているから、見ると良い気分になってよかったような覚えもあるが、四角いという共通点があるものを工夫して整頓するよろこびもあったかもしれない。リアルテトリスだ。かさばるしゴミなので親は困っていた。
自分の持ち物、自分の記憶、自分の手の中にあるもの、に対する愛着の強い子供で、そのまま大人になった。子供の頃は消しゴムや鉛筆を擬人化して遊ぶのも好きで、宿題の途中、寸劇をやっていた。手に入れたいものがどうしてもあるというより、手に入ったもので遊んでいるかもな。ずっと。
手に入ったもので遊んでいるし、手に入れたものを自分の生活に馴染ませるのが得意だ。
パシーマ(ガーゼキルトケット)を愛用している。洗って干した日のパシーマは特に心地が良い。
幸せに眠る。

※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます