彼は彼の住んでいる国を、はるか遠い国、と呼ぶ。それは僕の住んでいる国でもあるのだから、僕は生まれてからこのかたここ以外の場所に住んだ事はないのだから、彼がそういう言葉を使うたびに、違和感がある。でもとにかく、彼にとってこの国は、はるか遠い国、なのだそうだ。
彼はこの国にしっくりと馴染む容姿をしていて、べつに、はるか遠い国で育ったようには見えない。けれど彼はべつにめずらしくもないものをありがたがるから、外見のうえではこの国の人間に見えても、ほんとうはそうではないのかもしれない。
僕は、この国ではめずらしくもない、別荘に住んでいて、べつにそんなにたいしたものじゃなくて、ありきたりな、夏の休暇のためのものだ。そうして、新居のかわりにして、夏以外もそこで暮らす若者も、べつに珍しくはない。
ある山火事の日に、僕は煤けたからだで現れた彼を拾った。それから、僕はずっと、彼を、僕の家に住まわせている。彼は年恰好は僕とかわらないくらいの青年なのだけれど、どうもあたまがいかれているみたいで、僕を2から9までのナンバーのどれかで呼ぶ。呼ばれるタイミングはまちまちで、いつ、どの番号が割り振られるのか、僕は把握していないけれど、どうでもいいことだった。僕は無邪気だと彼は言い、僕は愛らしいと彼は言い、僕は孤独だと彼は言い、とても頑強だと言い、いつもおなかをすかせているとも、年老いて見えるとも、清らかであるとも、そして、おさない、とも、言う。それは当たっているようにも思えるし、そうではないようにも思える。
「ああ、それ、食べたかったんだよ」
僕はそう言う。彼は中華料理を手にしている。彼はおおむね、中華料理ばかりを僕に食わせたがって、テイクアウトの店で買ってくるのだった。彼はどこかから金や食い物をもってきていて、それがどこからやってくるのかは、僕の知ったことではない。僕は彼に家を与えたし、彼は僕に金を与える。
「でも、多すぎるよ」
「いいんだ。たくさんあるほうが、幸福だから」
「幸福になりたいの?」
包みを開きながら、僕は尋ねる。彼はだまりこみ、そして答える。
「幸福ってなんのことだか、ぼくは知らない。でも、きみは知っているはずじゃないか」
そうしてお決まりのナンバーが口にされる。僕は、そうだな、と、答える。僕はたしかに、彼が運んできたあたたかい中華料理を前にして、幸福だった。
「きみがいて僕は幸せだよ。きみがいないとどうしたらいいのかわからない。すくわれてる」
うん、と、彼は言う。
「ぼくはきみたちがいないと、なにをしていきて行ったらいいのか、わからないから、きみがいてくれて、よかった」
「きみたち?」
――じんるい、と、彼は、なんの関心もこもらない、いつも通りの声を漏らして、食事の最中だというのに、ぼくにくちづけをした。彼はいつだか娼婦のもとで、くちづけと、それからそれ以降のあらゆることを、学んできたと、そう言ったことがある。彼は僕のために生きているのだと彼は言う。たぶん、それは、事実だ。彼はいつも、事実しか、口にしない。
冷めてゆく中華料理の傍で、彼の目は分厚い前髪にかくれて、よく見えない。
「たぶん、死んだのは、ぼくのほうなんだろう」
わかりきったことを言うみたいに。