外マドレーヌ─哉村哉子いろいろ置き場

さようなら

インターネットをするのは禁止、と言われた。

教師と親が集まって、子供がインターネットをすることの危険性について話し合ったらしい。そうして彼は、いまいちばんおもしろいと思って遊んでいた楽しい楽しいおもちゃを取り上げられて、ふくれっ面である。誕生日にはパソコンを買ってもらえるはずだったのだけれども、なにしろ母親の猛反対をくらって、なかったことになった。

彼はまだインターネットやスマートフォンが普及する前の時代の子供で、携帯ゲーム機に搭載された通信機能もろくなものではない。だから親に封鎖されてしまえばインターネットへ接続する機会は得られない。

そうして彼はあらゆる物語を喪失する。

彼の人生に与えられるはずだった、あらゆる物語を喪失する。

あらゆる冒険を喪失し、その冒険で経るはずだったあらゆる物語を喪失する。そうして彼が現れることで救われるはずだった人間が救われないでバッドエンドを迎える。でもそんなことは彼の知ったことではない。ぜんぶPTAが悪い。彼が救世主になれなかったのはPTAの問題であって彼の問題ではない。彼は残念がってそれから学校へ戻ってゆく。たぶん彼はあたらしい遊びを見つけ出すだろう。たとえば図書館で、たとえば公民館で、たとえばグラウンドで、彼を待っている別の遊びがあるだろう。そうして彼は学校に行かなくてはならないし、進学をしなくてはならないし、平凡な大人にならなくてはらならない。救世主になる必要なんてない。この世の誰ひとり、救世主になる必要なんてない。世界が彼の知らない場所で滅んでも、だれかが彼の知らない場所で死んでも、彼はそもそもアクセス権を持たない。

彼はサッカーゲームに混ざったりするし、図書館でミステリ小説を読んだりする。音楽をはじめたりもするかもしれない。ひとつ、ふたつ、アクセス権を剥奪されたからといってべつに彼の人生が終わるわけではない。彼がアクセスしなかったせいで最悪の場合死に至ったなにか、滅亡したなにか、そんなもの、そもそも彼にははじめから、関係がない。だって彼はただの子供に過ぎない。そうしてただの子供に過ぎない彼が世界を救ったり救わなかったりすることがないように、アクセス権を制限した。PTAが。それは賢い選択だ。子供がひとり救世主になる道が封じられた。

同じときに、子供がカードゲームにお金を注ぎ込むことも問題視されたので、またひとつ世界が滅びる(かもしれない)理由が増える。彼のアクセス権がどんどん剥奪されてゆく中で彼はつまらなそうにあくびをして、それならなにをして遊ぼうかと、ぼんやり、考えている。

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