部屋と疲れ目と人生とわたし

わたしの実家がナントカみたいな話はブログの過去ログあさっていただければいいと思うんですがそれにしたってストレス性のアレみたいなのが多くねーかとは思っていて、ストレス性のアレというのは子供のころから原因不明の腹痛、原因不明の嘔吐、強迫観念からくる失禁、みたいな症状があってまあそういう人間なんだなと自分では思っていたしたぶんそういう人間なんだなで済ませてる人多いと思います。でもこう、多くない? 子供のころからだから社会生活を経ての鬱とかでもないしなにゆえのなに? とは思っていた。

あと忘れ物が子供の頃からめちゃくちゃ多くて注意力散漫で鳴らしてきました。忘れ物も多いし、こう、「そこに置いてある」ものが「見えない」。あと窓が汚れてるとかが「わからない」。ものによくぶつかる。なぜそんなにぼんやりしているのかとずっと言われてきたんだけどでも別にボケーッと生きてるわけではないというか細かいことをめちゃくちゃ気にする方だしアニメとかだとむしろ細かいところをめちゃくちゃよく観ていると言われるほうなんだけど何なんだ? と思っておりました。

 

眼鏡のフレームが歪んじゃったんですよ。

視力1.5くらいなのでべつに眼鏡なくても全く支障ないんですけど、上記のような不備というか視覚上の困難が多いのはおまえそれは目が悪いからじゃないのか、悪くなってるんじゃないのかという説があり、でも眼鏡かけると頭痛くなるから眼鏡かけたくなくて抵抗していたんですが、まあどうせ眼鏡は要るので(1.5でも映画の字幕とかはちょっと困るので)そろそろ作るかーと思ってふらっと眼鏡屋に、本当にふらっと何も考えずに行きました。

いろいろ検査をしたあとで、「右目と左目の焦点が合ってないです」と言われました。

それは……

斜視というやつではないのかな……? ……というのがインターネットの有志のご意見です。実際そういう診断になるのかどうかは眼科行って確認します。眼科は眼鏡受け取ってから具合を見て適宜行きます。眼鏡は明日できます。プリズムレンズ入れてもらいました(斜視の補助をするレンズ)。

 

エッ世の中の目に異常のない人間は何かを見ようと思うときにぐっと目の周りの筋肉に力を……入れない! 手もとを見ていると疲れるので遠くを眺めていて不注意を叱られたりしない! 動いているものの動きが把握しきれないのでそのあとどこに動くか考えてから動いていない! 飛んでくるボールの軌道が見えている! 視界が二重にブレない! まじで。

わたし目の焦点を合わせていないと人相が悪くなるので人前に出るとき目にいつも力を入れて生活してて、子供のころから、家帰ってくると一時間でも二時間でも平気でボーッとしてるというか何もできないって感じだったんですけど、それを、みんなは、していない!

まじで!?

 

それはあれじゃないですか。わたしが子供の頃から団体生活をしていると唐突に具合が悪くなってたのも人混みが苦手なのも情報量が多い映像を見ると具合が悪くなるのも忘れ物が多かったのも目が乾燥するとめまいで倒れてたのも花の名前は覚えられても種類は覚えられないのも学校から帰るとボケーと壁を眺めているうちに一日が終わって宿題ができないで泣いていたのも

疲れ目のせい……ということになります。

疲れ目ー!!

そして意識して生活してみるとたしかに痛いのは目だ。頭痛がするんじゃなくて目が痛いんだし吐き気がするのも目が痛いんだし肩に力が入っているのは目に力を入れているからだしサングラスかけると楽になるのは人相が悪くなるのを気にしないで済むからだ。というか閉所恐怖=窓がない建造物に対する恐怖は「近くに焦点を合わせると疲れるから焦点を合わせずに『遠く』を眺められないとだんだん具合が悪くなる」というすごく具体的な疲れ目の問題だったということではないかという疑惑も浮上します。もしかして精神疾患ではないのでは!? いや、躁鬱傾向にあることは事実ですが、躁病というのは要するに「目に力を入れている」状態を常態としようとした努力の結果なのではないか。最適化する人体! というか目の焦点を合わせるために背負っている疲れをどうにかするためにカフェインと糖分をどばどば摂っていたのではという疑惑も生じる。

まあ実際どうなのかわからないので眼科行こうかとは思うんですがとりあえず自分が「人相が悪いコンプレックス」を、意外とめちゃくちゃ持っていたことに気づきました、知らなかった、身体上のコンプレックスはそれなりにあるつもりではあったけど一番気にしていたのは「目」だったということを知らなかった。目をパッチリ開けろ(シャキッとせえ的な意味で)とそういえば子供のころからよく言われていたしたしかに目をパッチリ開けるとすごく人相がよくなるんですよね。疲れるとすぐ人相が悪くなるんですけど。

とりあえずサングラスをかけて生活していますが、サングラスをかけると楽になるメカニズムがそんなところにあったとは知らなかったよ……。サングラスをかけていると目をパッチリ開けなくていい(開けていてもどうせわからない)。まあものの色がわからないので写真撮りに行くときと作品製作をやっているときはサングラスかけられないんですけど。まあでも眼鏡かけてるとある程度ごまかせるよね。新しい眼鏡に期待。ていうか「眼鏡をかけると頭痛くなる」ってつまり「よく見えるので、よく見ようとがんばってしまう」ってことだと思う、多分……。というところが新しい眼鏡で多少改善されるといいなと思います。まあしくみがわかったら気をつけて生活できるしな。

 

しかし人生が、というか人間性が、もっと言うと人生観が、すごい勢いでひっくり返りましたよ。目の焦点を無理に合わせている! これこそが「生きているだけでえらい」というやつじゃないですか。

 

このエントリでは就活生のために人生の話をしようと思っていたのに枕だけで二千字も書いてしまった。

 

5歳 休日中出かけた諸々の話を幼稚園では黙っているように釘を刺される

6歳 忘れ物をしない日がない

8歳 疲れ目で倒れて運び込まれた保健室で『猫の事務所』を読み人生を知る

9歳 体重が増加し始める

10歳 小説を書き始める

11歳 父の死

12歳 中学校で喋らないことを決意

14歳 自分はおそらくろくな小説が書けないという天啓を得る

15歳 高校では喋ることを決意

15歳 交通事故の後遺症で倒れてる間にアニメにハマる

16歳 将来の進路を言語学者か民俗学者か図書館司書と定める

18歳 言語学を志すも、たぶん学者にはなれないっぽいことをなんとなく把握する

20歳 図書館司書のアルバイトを始める傍ら小説を書き始める

21歳 自動車免許の獲得に一年かかる傍ら小説を書いていた

22歳 就活をドロップアウトして小説を書いていた

23歳 書き上げた小説三作を仲良く全部燃やして工場労働者に

24歳 図書館司書非正規雇用の口にありつくも閉所恐怖のパニック障害の発作を起こして辞職

25歳 回転寿司屋で働きながら松尾芭蕉についての書籍を読みふける

26歳 BLエロ小説を書き始める

27歳 謎の社会福祉法人で謎の有償ボランティアを始める

30歳 同人誌を31種作る

30歳 自分の将来性についてもうちょっとまじめに考えたほうが良いのではないかと今更思い至り職業訓練校でofficeソフトの高度なとりあつかいを学んで事務員になりたいと思うも、教室が狭くて週5くらいで発作を起こし、人生が詰んでいることをしみじみとかみしめながらとりあえず就活条件を少しでも良くするために都会へ引っ越した矢先ブログがバズってよくわからないことになる

31歳 謎の稼業を始める

32歳 これまでの人生のうまくいかなかったことの大半が疲れ目によるものであるという疑惑が浮上←New!

 

なんでこんな赤裸々なことを書いたかと言うといろんな人生といろんな人生の破綻とそこからの再起があるというエピソードをみんな色々共有したらいいと思うんですよ。もちろん誰が正解とか誰のまねをしたらうまくいくとかいうことはないしできるもんならしてみろこっちは目をパッチリ開けながら生きてんやぞ! という感じだしいままともな企業みつけるのたいへんだと思うし(10年前だって十分たいへんでした)、モデルケースというわけじゃなくて、ただ、就職先が見つからないでべこべこにへこんでるとき「わたしの人生は22歳(±)で詰むのでは!?」という気持ちになる人けっこういるでしょう、不具合は山のようにあるけど意外とまだ詰んでないほうの人生をここに置いておきます。だから何ってわけじゃないんだけど。これ多分一個多めにミスったらドボンしてると思うし、実際人生の過程でドボンした人もいっぱい見たし。もちろん成功した人もほどほどになんとかクリアしてる人もいっぱい見たけど。

あと、わたしは「人生においてつらかったことがなかったら今の自分になっていないからつらいことがあってよかった」みたいなの大嫌いで、つらくないほうがよかったですよ!? つらいこと全然ないほうがよかった! と思うんですけど、目のことに関しては「指先の感覚や爪先の感覚ベースで生活する」能力を鍛えたのは目を補助しようという働きでしょう、と思うので、それに関してだけは「よいこと」の数に数えてもいい。だからって別に特にめちゃくちゃ役に立っているとかはないけど……。タイピングが早いとかくらいだと思うけど……(製作した作品が製作できない代わりに目を調整するよ! って言われても困らない程度の作品でしかないのが現状なので……)。

まあでももっと早いうちに、せめてはじめて眼鏡作った時に発覚してればちょっと楽だったかもしれないと思うとな。いやもちろん悔しいんですけど、それ以前に「わたしの30年がひっくり返る!」というアクロバティックな快楽のほうが勝ってます。過ぎたことをくよくよしてもしょうがないしな。自分の人生に伏線の回収によるどんでん返しが仕込まれていたなんて! 俺が、俺こそが信頼できない語り手だ!

 

新しい眼鏡たのしみです。

しかし人間はずいぶん視覚情報に頼って生きているんだな。そういや階段は段数を暗記して上り下りするので知らない階段苦手なんですよね。そいつもそれだよ。